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災害についての一つの考え方
2014/08/24 20:59
今、広島で土砂崩れによる大被害が発生していますね。
それ以外にもいろんな災害が発生しています。
日本人は、いつも天災か人災かという議論が発生しますね。
天災:
台風や地震なんかは天災であるから災害を防ぐことは原則無理なのだ
人災:
災害になるのは国(または地方自治体)の対応ができていなかったからだ。
僕はこの議論は不毛の論争と考えています。
というのは、僕なりの答えはこうです。
この世に天災などあるもんか。災害になるのは、他でもない、そこに人間がいるからだ。
100%の間違いではないはずです。でも、日本人はこういう考え方ができないわけはなぜでしょうか?
これは日本人が農耕民族だからです。
農耕民族の怖いことは、作物が実らないことです。
この原因は、風水害、例外、病虫害等いろいろありますが、どれも天災でおおよそ防ぎようのないことです。
に対して、欧米の騎馬民族では、人災が怖いのです。
そう、いち早く被害の出るところから、家畜を非難させなければならないからです。
それ故、日本人のような、天災か人災かという議論はありません。
極端な考え方と思われるかもしれませんが、皆さんは、この考え方にどう思われますか?
質問者が選んだベストアンサー
>皆さんは、・・・どう思われますか?
議論とは?
天災とすべきか人災とすべきかの呼称決めの綱引きでもあるんでしょうか?
そりゃぁ、「害」ですからね。被害というのは人に対して使われる言葉です。
天災は、英語で a natural calamity と言うんだし外国でも起きている事象でしょう。
人災は、人が被る災害の全般というよりは、人が発生の原因となった事故を言った方が妥当に思えます。
例えば、福島原発事故で、津波想定による発電装置を建物屋上に設置する計画が当初にありながら、実際はそうしなかった為に電力を喪失して被害を拡大させた事は、人的原因による人災と考えます。
日本は島国であって、大昔から他民族などの侵略者からの襲撃の心配はなくても、台風やら津波に地震といった自然相手に被るどうしようもないものが災害でしかなかったんでしょうね。
そうすると、相手が人や獣でもないため、怒りや憎しみをぶつける相手がいない。
「天」の思し召しによる厄災として、心にかたを付けるしかない。
それに比べて、大陸では他民族や他国の侵略に日夜怯える事が日常だったはずです。
こっちは、相手に対しての怒りや憎しみが出来ます。
これが、農耕民族と狩猟民族の違いといった事に思います。
家畜の避難と人災の関係が呑み込めませんが、気候変動による被害なら天災じゃないんですかね。
人による家畜への被害であるなら、人災によるものと言えると私は考えます。
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その他の回答 (6件中 1~5件目)
>それ故、日本人のような、天災か人災かという議論はありません。
ありません?
それは無知か偏見というものでしょう。
ではアメリカのハリケーンは人災ですか?
アイスランドの火山噴火は人災ですか?
>皆さんは、この考え方にどう思われますか?
発想が飛びすぎていて、
単なる議論のための議論で
ばかばかしい限りだと思います。
天災人災に関していえば、
甘すぎる想定で発生したもの。。未曽有の豪雨とか、、
昔なら立てなかった場所に建築許可を降ろして
土砂崩れ災害にあったとか。。
そういうのを言うのであって、
基本的には、人々が深く考えなくても幸せに暮らせるか
どうか、そのための社会システムや法整備を議論するなら
有意義だとは思います。
そういう意味で、最近の天災は人災の要素が大きいと
思わないでもないです。
災害に強い街作り、国土造りといいつつ、やっていることは
それと逆行しているからです。
近いうちに首都直下型の大地震が来ますから、
なのにまたぞろ東京中心の都市整備をやっているんですから、
馬鹿としかいいようがありません。
補足
2014/08/31 12:01
アメリカのハリケーンは人災ですか?
アイスランドの火山噴火は人災ですか?
↓
確かに天災です。でも、外人は
「天災と言えども、そこに人間がいるから災害になるのである。」という考え方があるのです。
最近の天災は人災の要素が大きいと
思わないでもないです。
↓
ここを一番考えなければならないことでしょう。
災害に強い街作り、国土造りといいつつ、やっていることは
それと逆行しているからです。
近いうちに首都直下型の大地震が来ますから、
なのにまたぞろ東京中心の都市整備をやっているんですから、
馬鹿としかいいようがありません。
↓
これもあるところまでは正解だと思いますが、これを言ってしまえば「日本に住むな」の論理になってしまいませんか?
何しろ、「日本で地震災害が発生しないところがない」といっても過言ではないのですから。
肝に命ずるべき先人達の名言
愚者は経験から学び、賢者は歴史から学ぶ
(ドイツ元首相 オットー・フォン・ビスマルク)
人類が歴史から学んだ事は、歴史から何も学んでいない事だ。
(イギリス元首相 サー・ウィンストン・チャーチル)
”それ故、日本人のような、天災か人災かという議論はありません。”
↑
1993年に採択された「ウィーン宣言及び行動計画」の
第1部、第23節において、自然災害と人的災害について
言及しておりますが。
”この世に天災などあるもんか。災害になるのは、他でもない、
そこに人間がいるからだ”
↑
確かに、無人島で何が発生しても、災害には
なり得ませんね。
しかし、それは問題の意味が違うでしょう。
”極端な考え方と思われるかもしれませんが、
皆さんは、この考え方にどう思われますか?”
↑
天災と人災を分ける意味は、天災は仕方が無いことと
して諦めるが、人災なら何らかの対策が
出来たはずだ、とうことにあると思われます。
この天災、人災という概念があると、本来人災であった
はずのモノが、責任者の保身の為に天災になってしまう
のではないか、という問題点が指摘できます。
じゃあ、総て人災にしてしまえば、というとそれでは
不可抗力の場合にも責任を問われる人が出てしまう
結果となるでしょう。
議論を緻密にする為には、人災、天災の区分は
必要ではないかな、と思う次第です。
”これは日本人が農耕民族だからです。”
↑
それはあるでしょうね。
農耕民族だから諦念感が強い、自然と対立するのではなく
共生を意図する。
狩猟民族だから諦念観は弱い、自然は対立し、克服
すべきモノだ。
ただ、ある無しではなくて、強いか弱いかの違いだと
思います。
補足
2014/08/25 23:30
僕は、
「天災と人災の区別をするな」
とまではいうつもりはありません。でも、
「たとえ天災としてもそれを起こすのは、そこにいる人間である」ということを言いたかっただけです。
こういう考え方をすれば別の見方ができるのではないでしょうか?
>飢饉を予測して備蓄する制度があったからです。
現在の日本にその制度は無いと??
>皆さんは、この考え方にどう思われますか?
だからナニ?
>欧米の騎馬民族では、
日本以外では、自己責任というのが浸透しています。
日本では、政は御上の仕事 わしらは考える必要が無いと言う考えが主流です。
なので、事が起これば御上が悪いという、本来自分にある責任を転嫁する考えになります。
補足
2014/08/25 23:13
日本以外では、自己責任というのが浸透しています。
日本では、政は御上の仕事 わしらは考える必要が無いと言う考えが主流です。
なので、事が起これば御上が悪いという、本来自分にある責任を転嫁する考えになります。
↓
これって、農耕民族のやらしさに感じませんか?
僕は「何でも国のせい」という考えは、ある意味おかしいと思います。
例えば、江戸時代の天災と言えば飢饉です。大飢饉と記録に残ってる中には、村単位で全滅とか、千や万単位の餓死者が出たと記されてます。
その中で例外的に被害がほどんどない藩もあったそうです。
江戸初期、東北で大飢饉が発生した時、会津藩は餓死者ゼロどころが、飢饉のど真ん中に位置しているにもかかわらず、周囲の藩に救援米を提供したと伝わってます。飢饉を予測して備蓄する制度があったからです。
天災から逃げるのなら、野生動物の方が人間より上手く行動します。
天災を予測し、あらかじめ対策を用意する。
それが人間が動物より優れている点であり、そのために人間は社会を作り、その社会全体を導く代表を決めてきました。人災というより、その代表の能力不足でしょうね。
補足
2014/08/25 23:17
人災というより、その代表の能力不足でしょうね。
↓
東日本大震災でも、あるところでは津波の被害がありませんでした。人々が「これより下には家を建てるな」の立札を守ったことで被害がのがれたのも、これと同じかもしれませんね。
それ故、災害に対しても政治がしっかりした主導権が必要でしょうね。
補足
2014/08/31 20:52
家畜の避難と人災の関係が呑み込めませんが、気候変動による被害なら天災じゃないんですかね。
人による家畜への被害であるなら、人災によるものと言えると私は考えます。
↓
確かに、気候変動による被害は天災ですが、それでも避難させることを怠った人災と捉えている、ということです。
人災は、人が被る災害の全般というよりは、人が発生の原因となった事故を言った方が妥当に思えます。
例えば、福島原発事故で、津波想定による発電装置を建物屋上に設置する計画が当初にありながら、実際はそうしなかった為に電力を喪失して被害を拡大させた事は、人的原因による人災と考えます。
↓
僕は原発推進派ですが(これは電力不足にどう対処するか、という問題で考えています。)現在の東京電力のような組織に任せいるのでは、今回の災害には対処できませんね。
(この問題は別の機会に話しましょう)
日本は島国であって、大昔から他民族などの侵略者からの襲撃の心配はなくても、台風やら津波に地震といった自然相手に被るどうしようもないものが災害でしかなかったんでしょうね。
そうすると、相手が人や獣でもないため、怒りや憎しみをぶつける相手がいない。
「天」の思し召しによる厄災として、心にかたを付けるしかない。
それに比べて、大陸では他民族や他国の侵略に日夜怯える事が日常だったはずです。
こっちは、相手に対しての怒りや憎しみが出来ます。
これが、農耕民族と狩猟民族の違いといった事に思います。
↓
農耕民族と騎馬民族の違いというより、他国からの侵略があるかどうかの問題かもしれません。
確かに、中国人も農耕民族ですが、北方からの騎馬民族の侵略に備える必要があるので、「天災か人災か」の問題はないそうです。