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地方の過疎農村地域の近所付き合い
2010/05/28 13:58
地方の過疎農村地域の近所付き合い
地方の過疎農村地域に住んでいますが、60歳以上の中年や高齢の方の当たり前が、若い世代にとって迷惑なことが多いので困っています。
例を挙げると、
・それぞれ事情があって結構しない人や、出来ない人が居るのに「結婚はまだか?」と聞いてくる。
・結婚した夫婦に「子供はまだ?」「何人作るの?」と、これまた本人の気持ちを組まずに聞いてくる。
・自動車を買い替えると適当な理由をつけて見に来て、勝手に車に触ったり、車内を覗き込む。
・家族で食事に出かけると、「昨日家の電気ついていなかったけどどこか行ってたの?」と聞いてくる。
・農繁時期になると作業小屋に来て収穫数を確認し、自分の家と比較していく。
・勝手に家に上がりこんで来る、時々食事時間帯でもお構いなしに長居する。
などなどです。
昭和時代までの「村意識」や「集落意識」が根強く残っているためだと思うのですが、若い世代にとって迷惑この上なく、同じ集落に住む同級生も仲が良くても必要以上に干渉しないようにしており、みんな同じような思いがあります。
確かに、防犯面南下を考えると、都会のように「隣人がどんな人か分からない」と言うのよりは良いとは思いますが、中年や高齢者にとって当たり前でも、時代錯誤に感じます。
こんな状況どうすればよいでしょうか?
質問者が選んだベストアンサー
過疎化地域というのは、主に高齢化が進み、若い世代が少ないと言う特徴を持っています。
これは田舎だけでなく、現在は都市部周辺の団地などでも同様の状態が始まっており、様々な問題があげられています。
特に深刻なのが「孤独死」の問題です。
都市部の団地などでは、質問のような「過干渉」はありません。
しかし、干渉が無いと言うことは、他人がどのような生活を営んでいるか、自分がどんな状態であるのか、と言うことをお互いが把握することが出来ないのです。
田舎のように「他人の生活と自分の生活の共有」を行う慣習があれば、こういったことは防げると言うわけですね。
また、自分と他人の境を「接近させつつ、分離・隔離する」ということは、災害などが起きた時の行動力を発揮させるために、迅速な行動が求められると言う、自然に近い場所に特有の「集団行動性」というものを発動するには必要なものだと思います。
人、一人ひとりがいわば「細胞の一つ」になる、と言う感じですね。
それで外敵(災害)に対処する、と言うような。
私は過疎地域の過干渉と言うのは「必要悪」なのだと思っています。
自然の懐近くで生きるから、村の「かたち」というものも、それに似てくる、ってことなんでしょうね。
ですから、都市型ライフスタイルを過疎地域に持ち込むと、それは時間が経過するごとに瓦解していきます。
単純に都市型のライフスタイルを持ち込んだ「だけ」では、私はいけないと思っています。
人の連絡は断たれ、気持ちの交流感は無くなります。
村の中に、たくさんの小さな「コミューン」が出来ることで、むしろ人間関係は悪くなっていくと思うのです。
ですので「私たちなり」というか、自分達で創造するところのライフスタイルと言うか「間」というものを作っていかないといけないでしょうね。
自分達の自然観とか、ふるさとに対する気持ちとか、そういったものを形にして行かないと、先人の「分厚い知恵」には、到底かないませんよ。
いろいろな価値観を刷新するくらいの想いが無ければ、ふるさと創成は「無い」と私は日頃思っています。
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その他の回答 (6件中 1~5件目)
費用はかかりますが、フェンスとインターフォンの設置をしてはどうでしょう。
田舎ほどオープン外構ですね。
他人様の敷地内に勝手に入れるし、玄関を開けても鍵がかかって無いので気安く入れます。
家の周囲をぐるりとフェンスで囲み、インターフォン対応にすれば勝手に車を物色されたり家に上がり込まれたりはしません。
フェンスの内側にも目隠しようの植木などを植えていくと、車があるのか?
カーテンがあいているのか?すら見えないバリケードになります。
結婚や子供について聞かれたら、正直に答えない事です。
ご老人には老人なりの時間の流れと挨拶がありますので「まあ、ぼちぼち」と濁してその場から逃げるのが一番でしょう。
老人達を変えるのは無理ですから、家の構造から変えていきましょう。
一応都会と呼ばれる住宅密集地に住んでいますが、オープン外構ではないので勝手に人の敷地内には入れませんし、インターフォンを押してでも交流したい訳ではないので誰が住んでいるかを知ってはいますが、濃いおつき合いはしていません。
都市の過密地帯は全く逆で、60歳以上の引退者や高齢の方はやることがなく、社会からも必要とされず、生きがいを失っている様です。
つまり、
過密都市は若者・現役世代の都合で廻っている。
過疎農村は年寄・引退世代の都合で廻っている、
と言う事なのでしょうか。
高齢でも過密都市に住むことを選ぶ人もいるし、若者でも過疎農村を選ぶ方がいて、それは選択の自由です。
プラスとマイナスを総合すると都市生活を選ぶ人が多いからこそ都市は過密になり農村は過疎になるんですよね。
とりあせえす、過疎農村生活が嫌なひとは過密都市に移住し、過密都市生活が嫌なひとは過疎農村に移住するしかないですね。
理想は、都市に空間のゆとりや緑を増やし、農村にプライバシー確保や個人の自由を浸透させることでしょう。
100年、200年の歳月がかかるかもしれませんが、そっちの方向に向いていると思いますので、お互い頑張りましょう。
もうすぐ引退の都市住民より。
こんにちは。
過疎の村に行くほどそういう傾向があります。
これは全国どこでもそういうもので、ご近所付き合いが良いというものですが、都市部に行くほどご近所付き合いは希薄になります。
私は生まれも育ちも神奈川県の大都市部の住宅密集地に住んでいますが、近所の人と何年も話しをしたことがありません。まぁそういうものだと思っています。
過疎の村は人との繋がりを良い意味で大切にして入るもので、高齢者の一人暮らしも多く、隣近所の人や、行商の車が役所や役場にに依頼され、週に2度くらい様子を直接伺いに行くなどの老人対策もしているところもあります。
私の父親の田舎は山梨県の過疎の村で、たまに訪れるとやはり何かしら隣近所の人が話し掛けてきたり、干渉したり、あるいは見掛けない者がいるという目で見られます。
質問者さんの気持ちもわかりますが、過疎の田舎はどこでも同じようなもので、それをうまくご近所付き合いするか、わずらわしいのであれば、やはり近所との関係が希薄な都市部に住むかだと思います。
時代錯誤ではないと思います。
ご近所さんとの付き合いをうまく利用すれば、遠くの親戚より近くの他人というように、困ったときはお互い様の日本の良き習慣が残っているものです。
あるしは、過疎の場所に住むのでも、塀を高くして、となり近所から干渉されないような住まい環境にして、周囲の人と一切話しもせず関わらないという生活をすることも可能です。
大都市部だと、世田谷区に仕事で出掛けたとき、家全体を高い金網で四方を覆っている家を見て驚きました。来訪者とのやりとりはカメラが付いたインターホンのみです。防犯対策には優れたものですが、そこまでやるかと異様な感じを受けました。
形は違えど家の近所にも同じような人はいます。
そのような考えをする人からすれば、必要以上の干渉を嫌う人は非常識でしかなく、迷惑がれば変人扱いでしょうね。
酷いと、おかしな話にされて近所に触れ回るなんて事もあるかもしれません。
それが嫌だったら、やはりある程度は従うしかないと思います。
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