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学生運動の影響について
2023/08/16 14:41
- 学生運動が私に及ぼした影響について考える
- 学生運動はファッションやフィクション、歌の世界に限定された私の経験
- 学生運動に関わった人々の人生にどのような影響があったのか知りたい
学生運動が貴兄に及ぼした影響に就いて
2012/10/21 19:17
私は共通1次試験初年度の受験生です、依って大学入学は学生運動もほぼ終息に向かっていた1970年代後半でして、世は第1次ブランドブームに沸き、学内も享楽的な雰囲気すら漂っており、そもそも学生運動に関しては活字媒体や伝承での知識しかありません。
そこに関わらずに済んだ事を幸いに考える一方に於いて、遅れて来た事に対する幾分かの思いも無い訳ではないのですが、大学生活を終えるに当たり、就職活動或いはその後の結婚等自らの生活に精一杯で、そんな感傷に浸る暇が無かったのもまた事実です。
私にとっての学生運動は、或る意味ファッションやフィクション、そして歌の中に限定された世界(例えば「いちご白書をもう一度」の様な)でした。
そこで諸先輩方に御聞きしたいのが、学生運動に関わった(関わっておられなくても結構ですが)ばかりに、本来あるべき人生の方向性が変化したか何等かの影響が及ぼされた御経験、或いはそういった知人・友人の経験談があれば、身の回りの些細な事何でも結構ですので、支障の無い範囲で御教示頂ければと思います。
尚本件は私の興味に限定した御願いであり、他意はありませんので、そのところ御賢察下さい。
その他の回答 (9件中 6~9件目)
私の元上司は60過ぎですが、学生運動に燃えていた生徒が、ちゃっかり試験には出てきたのを見て、バカバカしくなって試験を放棄したと言っていました。
彼は別の地方から入学したので、バイトを掛け持ちしながら学費や生活費を稼いでいたそうで、授業がない学生生活が伸びるほど、無駄な家賃を払わさせられていたことになり、死活問題の迷惑を被ったそうです。
堅い業界の優秀な研究者なので、てっきり無駄なく勉強や仕事を極めてきたのかと思いましたが、自分の力ではどうにもならない状況に立たされた経験があるせいか、おおらかな考え方をする人です。
あんなことがあっても、腐らずに自分のやりたい事をやったんだから、この先も何かあってもどうとでもなる、というスタンスです。
私は元女性闘志のケアに間接的に携わっています。
学生運動の後にある農家に「援農」に行ってそこの男性と結婚し、数十年の間に心を病んでしまったのです。
自由のために闘ったのに、大学では女子は男子に炊事を命じられ、暴力をふるわれ、嫁ぎ先では保守的な家風に抑圧され、ジェンダーの苦しみが幾重にも積もっています。
ふと気がつくと変なことをしていたり、自分の心が宙に浮いているような感覚のようです。
運動の挫折や喪失感だけではなく、自分の性が搾取された悲しみが重なっていることに耐えられないのでしょう。
苦しんでいるのは私ではなくて誰か…というふうに自我を曖昧に漂わせることによって、自分を保っている状態です。
また、昨年「マイバックページ」や「いちご白書」を見て思ったのですが、映画になりやすい世界だなと思いました。
私はマイバックページのインチキ闘志より、それを取材したヘタレ記者より、仕事を終えた庶民が居酒屋で和やかに飲んでいる姿に共感しました。
彼らが気負わず真っ当に生きているラストシーンに感動していたのですが、終映後、知らない男性から、自分も闘っていたとかその時代を知っているとか話しかけられたので、あなたにもあなたの話にも興味がありませんと断りました。
若い世代の私に教えたかったのでしょうが、死者も出た大きな運動なのだし、安易なウンチク話は聞きたくなかったからです。
私は今も苦しんでいる人に向き合っている立場なので、「あの頃は…」と感傷に浸るオジさんはマヌケに見えたし、自分に酔っていて気持ち悪いと思いました。
映画になるくらいのドラマではあるし、このオジさんのような軽薄なタイプは若い世代に自慢するネタにしたいのでしょう。これも学生運動の小さな害かもしれません。
もし語るなら帰還兵ぐらいのシビアさで語って欲しいですね。戦争に比べたら小さなことであっても、それが渦中にいた人の責任でしょう。自慢や自分語り程度の話は迷惑です。
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こんばんは。
お久しぶりでしたね。
お話し、したいと思っておりましたが、
中々機会がありませんでした。
私の学生生活は、所謂、学生運動の真っ最中です。
第一次早稲田闘争と言われるものは、私の少し前です。
私が入学した頃から東大闘争が始まったように思いますが、
まあ、その頃でしょうね・・・。
質問の「学生運動が及ぼした影響」については、
私の場合は殆どありません。
学生運動が東京中の学生を沸き立たたせたと、
お思いになっているようでしたら、それは少し違います。
所謂、ノンポリと称された学生は私を含めて実に多いものでした。
私も私の友人も、彼等を遠くから眺める・・・そんな感じでした。
面白い話があります。
友人の一人に運動をしている男がいたのです。
朝、バッグを持って出かけるのです。
何処へ行く?と尋ねると「現場だ!」(笑)。
バッグの中はヘルメットとかタオルだったのでしょうね(笑)。
今で言う派遣社員のようで、思い出すと可笑しくて笑ってしまいます。
一年に一度ほどですが、その友人と会うことがあります。
穏やかな人生のようです。
彼にとって熱病とも思えるあの学生運動は、どのような意味を持つのか?
私には知りようもありません・・・。
ただ、たまにですが羨ましく思うこともなくはないのです。
お礼
2012/10/22 22:46
turukamejirouさんお久し振りです、映画関係を主とした貴兄の質問は度々拝見しているのですが、悲しいかな締め切りが早い傾向にある為、中々回答する機会に恵まれません・・、という恨み節はともかく、御回答誠にありがとうございます。
>学生運動が東京中の学生を沸き立たたせたと、お思いになっているようでしたら、それは少し違います。
少しばかり意外でした、学生運動の積極的分子であるか否かはともかく、多くの学生がノンポリである事、そして局外中立に身を置く事が、許容されない時代であったと認識しておりましたので。
>友人の一人に運動をしている男がいたのです。
先に申し上げた通り、70年代後半から大学生活を過ごした我々にとって、学生運動は遥か昔に通り過ぎたエピローグのはずでしたが、とある秋の日の吉祥寺での事、いかにもといった格好でビラ配りをしている一団の中に高校時代の友人を発見して、軽いショックを受けた経験があります。
ほぼ終息したはずの学生運動がここではまだ現在進行形であるという驚き、そしてそこに友人が参加していたという現実に対して。
但し後日談を申し上げますと、都市対抗野球が行われた東京ドームで、それから数年後に偶然彼の姿を見つけましたが、当日は客筋である某有名企業の応援に来たという事でした。
彼いわく、学生運動からは早々に足を洗い、さる一部上場企業に入社したとの事、少しばかりほっとすると共に、彼にとっての学生運動とは果たして何だったのだろう?、という疑問を持ったのも正直なところ。
先の回答者様へのお礼でも述べたのですが、社会に出る前そして4年間に限定されたモラトリアムだったのでしょうか?
>ただ、たまにですが羨ましく思うこともなくはないのです。
私が斯様な質問をさせて頂いた背景は、恐らくそういった深層心理に由来するもの。
平々凡々と過ぎてしまった学生生活、そしてその対極に位置したであろう学生運動、及びインパクトに残る時代背景等々、その当事者になる意志と勇気は更々無いが、そういったものに対する或る種の興味と憧憬は、ほぼ確実に有しております。
僕は70年代前半を学生で過ごした者です。
学生運動の終息直前期でしょうか。
5年間を自治会活動その他ですごしました。
サークル活動その他、自分の楽しみとなる事は
99%我慢してきたし、
最後は学内のある出来事について、学生大会は
無期限ストライキを決定、なのに賛成した学生
は次々とスト破りで授業復帰、無期限ストに
反対していた自治会役員は決定に自らしばられ
留年するという終わり方だった。
それで一挙に不信感をもったわけではないけれど
長い人生、もう少しだけ融通をきかせながら、あ
の時のようにここという時は自分の立ち位置を変
えないという生き方をしてこれたと自負している。
それにしても大学時代、遊びにいけなかったのが
人を遊びに誘えないハンディかな。そして歯医者
に行けなかったので前歯が6連結の差し歯に。
色々な人たちと一生分の交流ができたと思っている。
傷もたくさん負ったが、消極的な自分がよくあれだけ
動けたものだ。仲間に感謝している。
お礼
2012/10/22 21:55
実体験に基づく貴重な御意見、誠にありがとうございます。
>最後は学内のある出来事について、学生大会は無期限ストライキを決定、なのに賛成した学生は次々とスト破りで授業復帰、無期限ストに反対していた自治会役員は決定に自らしばられ留年するという終わり方だった。
ヘルメットを被り・アジ演説をぶった学生達が、一方に於いて自らの将来・人生に思いを馳せ、次々と実生活に戻って行く様、一方に於いて梯子を外された格好の方々が存在する事、そこに幾分かの不条理さと理解可能な現実が混在する気がします。
一部の例外を除き、学生運動に首を突っ込まれた方々の殆んどは、ほぼ4年間に限定された現実からの逃避という事だったのでしょうね。
>傷もたくさん負ったが、消極的な自分がよくあれだけ動けたものだ。仲間に感謝している。
フレキシビリティ溢れる生き方も決して否定は致しませんが、多少の不器用さを感じさせる貴兄の在り方に、個人的には或る面で憧憬を感じるのも正直なところ。
そして何よりも、深く刻まれ一生胸に残る思い出という事なのでしょうか、真摯な回答感謝致します。
お礼
2012/10/24 23:17
回答ありがとうございます。
>私の元上司は60過ぎですが、学生運動に燃えていた生徒が、ちゃっかり試験には出てきたのを見て、バカバカしくなって試験を放棄したと言っていました。
或る程度馬齢を重ねると、その学生の前後のコントラストに微笑ましさすら感じる様になるのでしょうが、若者の感情は直線的傾向を有しますから。
>自由のために闘ったのに、大学では女子は男子に炊事を命じられ、暴力をふるわれ、嫁ぎ先では保守的な家風に抑圧され、ジェンダーの苦しみが幾重にも積もっています。
本邦に於ける学生運動を振り返り且つ俯瞰するに、この点に於ける理想と現実との乖離は誠に甚だしい、例えば一方に於いて女性の開放を叫ぶものの、その実一般社会よりも余程保守的な閉鎖性を有し、甚だしくは女性を性の玩具と位置付けた明確な証拠も少なくないでしょう。
また女性闘士と称される方々も或る程度その事を容認し、しかも奔放な性体験(フリー・セックスと置き換えてもよいが)が女性の地位向上に直結するとの誤解があった傾向は否めない気がします、まあ回答者様が関わっておられる女性が、どういった事情を御持ちかは判断しかねますが。
>私はマイバックページのインチキ闘志より、それを取材したヘタレ記者より、仕事を終えた庶民が居酒屋で和やかに飲んでいる姿に共感しました。
学生運動の当時者及びその周辺居住者と一般庶民、そしてその背景にある左翼活動と右肩上がりの経済成長、両面のコントラストが恐らくこの映画のテーマではなかろうかと。
>映画になるくらいのドラマではあるし、このオジさんのような軽薄なタイプは若い世代に自慢するネタにしたいのでしょう。これも学生運動の小さな害かもしれません。
大学時代の或る時期、数ヶ月に及びアジアを放浪した経験があります。
当時のバンコクの安宿には、学生運動に夢破れた(或いはそれ以外の理由に依るのかも知れませんが)と自称する私より1世代上の方々がとぐろを巻き、酒や女或いはドラッグに溺れては往時に思いを馳せて、くだを巻いておりました。
私自身そういった気安さに身を委ねかねない危うい心境にありましたが、彼らの存在に依り覚醒された気がします、「こうなっちゃ駄目だ、普通の生活に回帰しよう」と。