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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:日本人がクリスマスを祝う理由)

日本人がクリスマスを祝う理由

2023/10/16 04:20

このQ&Aのポイント
  • 日本人がクリスマスを祝うようになったのはおそらく1945年以後でしょうね。1945年の12月から、かどうかは知りませんが終戦の年からまもなくだと思います。
  • 大部分の日本人はキリスト教徒でもないのになぜクリスマスを祝うのか、その理由を教えて下さい。これは日本人の誰もが一度は抱く疑問だと思います。いまでも日本でキリスト教徒が増えたなどという話は聞いていません。いっぽうクリスマスは廃れる気配はまったくない。当方自身もそれを不思議とは思いません。ケーキとか売りたいから、という理由だけならこんなに続くわけはないと思います。
  • 日本は多神教の国ですらイエス様は外来の神様ということで日本の神々のひとりとなられたのでしょうか。
※ 以下は、質問の原文です

日本人がクリスマスを祝う理由

2021/08/11 10:47

 日本人がクリスマスを祝うようになったのはおそらく1945年以後でしょうね。1945年の12月から、かどうかは知りませんが終戦の年からまもなくだと思います。
 そこで質問ですが大部分の日本人はキリスト教徒でもないのになぜクリスマスを祝うのか、その理由を教えて下さい。これは日本人の誰もが一度は抱く疑問だと思います。いまでも日本でキリスト教徒が増えたなどという話は聞いていません。いっぽうクリスマスは廃れる気配はまったくない。当方自身もそれを不思議とは思いません。ケーキとか売りたいから、という理由だけならこんなに続くわけはないと思います。
 日本は多神教の国ですらイエス様は外来の神様ということで日本の神々のひとりとなられたのでしょうか。

質問者が選んだベストアンサー

ベストアンサー
2021/08/11 23:59
回答No.11

萩原朔太郎に「クリスマス」という詩があります。

クリスマスとは何ぞや
我が隣の子の羨ましきに
そが高き窓をのぞきたり。
飾れる部屋部屋
我が知らぬ西洋の怪しき玩具と
銀紙のかがやく星星。
我れにも欲しく
我が家にもクリスマスのあればよからん。
耶蘇教の家の羨ましく
風琴(おるがん)の唱歌する聲をききつつ
冬の夜幼なき眼に涙ながしぬ。

朔太郎は1886年(明治19年)に群馬県前橋の裕福な医師の家に生まれています。この詩が自分の幼いころを回顧した作品だと仮定すれば、明治の半ば過ぎには関東の地方都市でもキリスト教を信仰してクリスマスを祝う家庭があったことがうかがえます。

この朔太郎は50歳になった1936年(昭和11年)、12月25日付けの朝日新聞に「クリスマスの悲哀」という文章を寄せています。ご質問の「日本人がクリスマスを祝う理由」の回答にもなっている興味深い文章なので、以下全文を引用します。

クリスマスで町が賑はっている。キリスト教徒でもない日本人がクリスマスを祝祭するとは何事だらう。昔の僕はムキになって腹を立てて、百貨店の前で「このタワケモノ奴等」と怒鳴りつけた。しかし今では、こんな現象にさへも、特殊の必然性を認めるやうになつて来た。

といふわけは、元来お祭好きの日本人が、今日の民衆的祭日さへも無く、その点で寂しがつていることを知ったからだ。西洋には謝肉祭とか花祭とかいふ、年中行事のお祭があり、民衆がこぞって宴楽し、以て生活の憂苦を忘れるのだ。

日本にはこんな風に民衆の享楽する祭りの日はない。それでも下町の町家や職人等には、神田祭や山王祭があるけれども、學生やサラリーマン等の知識階級が、一所に山車をひいて騒ぐわけに行かない。

僕は昔、森鴎外譯の即興詩人をよみ、大學生や知識階級の人々が、市民に伍して宴会するヴェニスの謝肉祭を羨望した。知識階級という者がなかった江戸時代は神田祭等が民衆全般の祭日で、西洋の謝肉祭みたいなものだったらう。

然るに今日の日本には、さうした國民的祭日がないのである。サラリーマン等がクリスマスに浮かれるのは、彼等の「失われた祭日」を回復する爲の郷愁であり、まことに悲しい現代日本の悪文化表象であり、それの皮肉な諷刺畫でもある(引用終わり)

なお、この前日12月24日のクリスマスイブには、当時のNHKラジオで「クリスマスの夕べ」という番組を放送しています。(新聞に予告記事)BK(大阪)から「聖しこの夜」などの歌を、AK(東京)から救世軍の吹奏楽や「讃美歌物語」を放送するという力の入ったもののようです。また朔太郎の文章が掲載された25日の紙面には、「テンプルちゃんのクリスマス」という写真記事(名子役と言われたシャーリー・テンプルの可愛いクリスマス)や、「もみくちゃクリスマスイブ」というクリスマスイブの銀座の雑踏の写真付き記事も載っていました。戦前のクリスマスの賑わいがわかります。

ところで星の文学者として知られる野尻抱影が1945年(昭和20年)に書いた「ベツレヘムの星」という随筆の冒頭に次の文章があります。

クリスマスも、七夕祭と同じように商品祭となった。苦にがしいと思うのだが、信者でもない私の茶の間にも、子供たちが蜜柑箱に小さいクリスマス・トゥリーを立てて飾り、私のプレゼントを待っている。いつとなくお年玉をダブラせる家庭行事になってしまったが、子供にはかなわない。(引用終わり)

「キリスト教徒でもない日本人がクリスマスを祝う理由」について、朔太郎の視点に一つ付け加えるとすれば、この随筆のある通り「子どもが中心の家庭行事になったから」でしょう。最初に挙げた朔太郎の「クリスマス」の時代とは違い、多くの家庭でクリスマスを祝うようになれば、我が家だけクリスマスを祝わず、子どもにプレゼントもやらないというわけにはいきませんね。

お礼

2021/08/12 06:05

萩原朔太郎がクリスマスについていろいろ書いていたのですね。そのこと自体が興味深いです。1945年よりかなり前から日本でクリスマスがあった。キリスト教徒でもないのに一般家庭でイエス様の誕生パーティが開かれていた。そして今の人と同じようにそれに異議を唱える人がいた。なんか今とあまり変わらないです。クリスマスがその当時から以前の日本にはなかった子供中心のパーティだったことは新たな発見です。ご回答ありがとうございました。

質問者

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その他の回答 (14件中 1~5件目)

2021/08/12 09:48
回答No.14

雰囲気を楽しんでいるだけのような・・。
煌びやかなクリスマスツリーや可愛いオーナメントや
綺麗で美味しいケーキ・・
私が子供の頃(高度成長期)は
クリスマス時期に紙の三角帽子を被ったおじさん達が
ケーキの箱を片手に提げて酔っぱらって
繁華街を歩くニュース映像が流れてました・・
バブル期には若いカップルが
クリスマスに男性が女性に
高価なジュエリーを送り、高級レストランでディナー、
その後にホテル宿泊・・。
その頃に比べれば、最近のクリスマスはまだ落ち着いているような
気がします・・。別にクリスマスを祝っているわけじゃないですね・・(あまり役に立たない回答ですみません)

お礼

2021/08/12 13:19

あの華やかできらびやかな雰囲気は昔からの日本の行事・お祭りにはないものです。クリスマスに関連したプレゼントとかのやりとりもそうです。雪、夜、星、歌・音楽、赤・緑・白・金・銀といったところでしょうか。また、前の回答者のご回答にもあったと思いますが日本ではやはり子供中心のお祭りですね。ご回答ありがとうございました。

質問者
2021/08/12 04:52
回答No.13

NO、9ですクリスマスは西洋文化として受け入れたというのが正確な所だと思います。クリスマスが初めて紹介されたときは盆と正月が一緒に来たような、めでたい日だと説明していたみたいです。

お礼

2021/08/12 06:26

「クリスマスが初めて紹介されたときは盆と正月が一緒に来たような、めでたい日だと・・・」日本人にはそういう紹介のしかたが一番わかりやすかったんでしょうね。紹介したのは当時の政府ではなくよほど商売熱心な商人だったんでしょか。その宣伝文句がやたらと巧みということですね。ご回答ありがとうこざいました。

質問者

補足

2021/08/12 06:28

お礼文の訂正です。

×紹介したのは当時の政府ではなくよほど商売熱心な商人だったんでしょか。
○紹介したのは当時の政府ではなくよほど商売熱心な商人だったんでしょうか。

申し訳ありませんでした。

質問者
2021/08/12 02:24
回答No.12

 #1です。補足です。ここ何十年かは在アメリカです。

>>お金になることは続くんですね、まあ当然でしょうけど。はっきり言ってあちらのキリスト教国だってクリスマスの時期は書き入れ時のはずです。

 ただその単位が違います。アメリカでは子供のためのプレゼント、屋根飾りをする電気会社が儲けます。日本は恋人同士がプレゼントし、商店街の儲けです。ミネソタ州の人がそこでは屋根上の電飾にいくらかけたで大競争になると聞きました。

>>時期商売のうまい人にとってはうはうは状態でしょうね。「僕の甥は・・・オランダ式の遊園地内の教会で結婚した・・・」その方はキリスト教徒ではないんでしょう。

 はい、単なる〇〇です。

>>あるいはその式のときだけキリスト教徒だったとか。その遊園地や教会もよくやりますよ。つまりそれだって結局お金でしょうから。

 おっしゃる通りです。

お礼

2021/08/12 06:16

「ミネソタ州の人がそこでは屋根上の電飾にいくらかけたで大競争になると聞きました。」結婚式とか葬式にやたらとお金かけるようなものですね。さすがに本場は違う、と言ったところでしょうか。今は科学の時代ですが一般庶民が不動産・車・他の生活費以外でお金かけるとしたらやはり宗教と広い意味での「お祭り」ですか。どういうわけかこういうことに大金を使うのは楽しい、いや義務だ、なんていう風潮さえあります。ご回答ありがとうございました。

質問者
2021/08/11 21:32
回答No.10

近年は宗教色をきらったりキリスト教でない人が祝うことも考慮したうえで中立的な「時節のご挨拶」に加えて「メリークリスマス」ではなく「ハッピーユール」などいう挨拶やカードが増した気がするのですが、それもユールフェスト、ユールタイド と冬至祭りの名残りであることを踏まえた移行と思います。
国によってはクリスマスは必ずしもお祭りではなくて日本のお正月風に一家で静粛に祝う伝統ながら、やはりハロウィンとおなじくアメリカ直輸入でワイワイぎんぎらした飾りつけなども売るようになりました。こうして境界線はどこでも曖昧になってきているのかと思いきや、キリスト教文化の一部の地域では宗教との葛藤ゆえにクリスマス自体を否定する人も少なくありません。日本のようになにごとにも深入りしないほうが楽しめるのでしょうね。
イースターも入ってきているのですか、もともとは春分のお祭りですから、モチーフもかわいいですし違和感なさそうです(笑) ウサギのチョコレートメインの某海外メーカーの稼ぎ時です。
外国人に「キリスト教でもないくせになんでも祝って日本人は節操がない」「いかにも真似したがりやの日本人」など嘲笑されるほうが多いのですが、何度も訪日して日本が好きだった昔の教師は「日本人はいろんなところからちょいちょい、といいとこだけ取る」ことを長所として語っていました。ものは見方ですね。

>日本は多神教の国ですらイエス様は外来の神様ということで日本の神々のひとりとなられたのでしょうか。
→ キリスト教の不の遺産などを考えると、一神教のだれも日本の神々には加えないほうがよいと思うのですが(靖国神社のことだけでも格好のバッシング材料ですから)、日本的な発想をほほえましく思いました^^

お礼

2021/08/12 05:51

全般的に見て日本の宗教文化というのは悪く無いと思います。キリスト教を禁止したときは混乱も起きましたが、歴史を振り返るとその程度でしょう。日本の宗教政策はかなり以前からうまくいっているのだと思います。明治になってから廃仏毀釈なんてのもありましたが、どうやら中途半端に終わったようです。あれが徹底しておこなわれたら今の日本の社会も少し変わっていたかもですね。これからもクリスマスは続くと思います。寒い季節ににぎやかな街はお似合いです。ご回答ありがとうございました。

質問者
2021/08/11 19:55
回答No.9

クリスマスが日本でやったのは1552年にイエズス会の宣教師が日本人信者を招いて降誕祭のミサをやったのが日本で最初のクリスマスとされています。そのあとにキリスト教の禁教令が出たので隠れキリシタン以外受け入れられませんでした。受け入れ始めたのが明治時代からです。明治屋が銀座に進出してクリスマス商戦をしたと言われてますし
大正時代には児童雑誌にクリスマスにまつわる話が紹介されています。
イエス様が日本の神の一人になったのではなくこういう適応能力が高いだけです。

お礼

2021/08/11 20:33

ご回答ありがとうございました。イエス様が日本の神々になったと言うのは確かに言い過ぎですね。あまりにも日本の神々とは異質です。
当方に難しいのは(日本人の)「適応能力が高い」という箇所です。日本人はキリスト教を宗教ではなく西洋文化のひとつとして受け入れた、ということでしょうか。

質問者

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