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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:大学院の理不尽な制度を変えたいのですが)

大学院の理不尽な制度変革

2023/10/12 15:42

このQ&Aのポイント
  • 大学院の理不尽な制度を変えたい方へ。大学院修士1年の私が自身の大学院の制度について不満を抱えていることを紹介します。特定のコースにおけるコース修了証の発行や就職における便宜を目的とした連携大学院の制度について問題点を指摘し、また選抜方法や後天的な努力の評価に関する疑問も述べます。
  • 大学院の理不尽な制度変革に向けて。大学院修士1年の私が経験した大学院の制度上の問題点と不満をご紹介します。コース修了証の発行や就職での優遇などを目的とした連携大学院の制度が、一度の選抜や成績という客観的な評価を無視していることに疑問を感じています。どのように動くべきかや外部機関への連絡先についてもお伝えします。
  • 大学院の理不尽な制度変革に向けてのアドバイス。大学院修士1年の私が抱える大学院の問題点と変革への思いをお伝えします。連携大学院の制度において、選抜方法や成績評価の不透明さ、後天的な努力の無視などが問題視されています。不満を訴える手段や改革へのアプローチについてもご提案します。
※ 以下は、質問の原文です

大学院の理不尽な制度を変えたいのですが

2010/07/25 01:37

大学院の理不尽な制度を変えたいのですが

私はある国立大学の大学院修士1年なのですが、自分の大学院のとある制度について不満があります。
私の大学院では本科とは別に連携大学院としてあるコースが開講されており、
その内容というと近隣の他大学院の単位互換科目を含めた所定の単位を取得すると
コース修了証を発行し就職などにも便宜をはかるというものです。
講義を受けるだけで修了要件を満たせるので言ってみれば学部の副専攻に近い制度でしょうか。

このコースには定員があり選抜された学生のみがコース履修生になれます。
しかし、ここに私が非常に不満に思う制度上の問題があります。

このコースの関連講義はあくまで定員が満杯になった場合にコース履修生が優先して
履修できるというだけであって、別にコース履修生でなくても空きがあれば受講できます。

そのため一度コース履修生に選ばれなければ、どれだけ多くの関連科目の単位を優秀な成績で取っても
コース修了生としては認められず、逆に一度コース履修生として認められればギリギリの単位でも
コース修了として認められ就職でも優遇されるという現象が起きてしまっています。

コース履修生はあくまで講義を受講しているだけであってなにか特別な研究をしているわけでもありませんから
同様の講義を履修した一般学生とやっていることは何も変わりません。
それにも関わらず、入学後の成績や取得単位数を無視してコース履修者のみを優遇し続ける制度はあまりにも理不尽でナンセンスだと思います。

コースの選抜が努力が必要な学力試験ならまだ納得がいきますが、
実際にはたった10分間の口頭試問もなにもない面接で選抜が行われました。
どういう基準で選んでいるかも非常に不明確です。

どちらにしろ入学直後に行った10分間の面接の結果と、一年間の取得単位数と成績、
どちらがより明確に本人の能力と努力、学力の確かさを示しているかといえば明らかに後者であると考えます。

このような後天的な努力を一切認めないかのような制度が、それなりに歴史のある国立大学で、しかも文部科学省の特別な支援を受けて行われているというのは非常に腹が立ちます。

そんなわけで私はこのような大学の制度を不満に思い出来れば変えたいと思うのですが、どのように動けばいいでしょうか?なにか外部に不満を訴えるような機関などはないでしょうか?

そもそも私の不満はまっともうなものでしょうか?

ご意見をお願いします。

回答 (6件中 1~5件目)

2010/07/25 18:24
回答No.6

制度設立背景とその経営判断としては既に#3様が的確な回答をされていると思いますので、別の視点から。

大学院だけでなく、世の中の大学でもAO入試やら指定推薦枠やら理不尽かつどういう基準で設けられているのか分からない制度が蔓延してきています。東大が後期日程試験や帰国入試枠を導入した際にも、前期日程試験との学力差が激しくなるとの批判が相次ぎました。それでも同制度は少しは改革されながらも存続しており、その入試で入ってきた学生も普通に卒業していっているので、質問者様が挙げている制度も残念ながら続いていってしまうと思います。

質問者様が同制度に対して不満を抱いてしまうのはまっとうと思いますが、個人的なミクロな不満だけではなく、社会総体の理不尽な状況を解消するためには、「入試に受かればほとんど卒業できる」という日本の大学制度全体と「どこの大学を出たかで就職に影響がある」という学歴偏重システムを修正する大改革が必要になるので、その不満を完全に解決するのは無理でしょう。具体的には小学生の時分から落第させるかどうか、という壮大な改革案が必要になります。

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2010/07/25 18:12
回答No.5

No.4の補筆です。

>コース設置を疑問視する良識派の教員から批判が集中したと思いますね。疑問とは,まずコース設置(予算獲得)ありきのはなしであり,だれにコース履修を認めるか検討してないじゃないか,履修生への出口保証(就職斡旋)はどう考えてんだ,

ここでの話題にかぎって書きましたが,ほかにもあります。
・コースをつくることで,どれだけ受験者が増えるのか。副専攻なんかありふれた手法で,魅力がないんじゃないのか。
・うちの院生に,あれこれ勉強する能力的・時間的な余裕があるのか。1つの分野で修士論文レベルまでもっていくのが精一杯なんじゃないのか。
・学問的に,主専攻とコース科目の関連はだれがつけるのか。学生の自由か,指導教員が履修指導するのか。
・大学院生になっても「講義を受けて修了に必要な単位をそろえる」という認識しか持たない学生を,助長するだけの制度じゃないのか。そんなやつに修士論文は書けん。

などなど。

2010/07/25 15:40
回答No.4

No.3の再訪です。

>このようにコース履修生はまったくのノーリスクなのです。

ううむ。こりゃぬるい制度ですね。想像するに(以下の記述もすべてそうですからご注意),大学側の思惑はこういうことじゃないかと思います。コースをつくると文科省に申請して予算をもらったものの,いざ学生が集まらなかったら引っ込みがつかんから甘い蜜で集めるしかないだろ,でも大勢来たら困るなあ・・・という判断です。

>コース独自の推薦枠を設ける・・・今のところ自己アピールの材料ぐらいにしか役に立たないだろうというのが大多数の教員の見解です。

大学院研究科会議では,コース設置を疑問視する良識派の教員から批判が集中したと思いますね。疑問とは,まずコース設置(予算獲得)ありきのはなしであり,だれにコース履修を認めるか検討してないじゃないか,履修生への出口保証(就職斡旋)はどう考えてんだ,ということです。

むかしなら,会議で設置案は否決されたでしょう。いまは,大学執行部の「やると決めたからやるんだ」の上意下達がまかりとおる組織になってしまいました。
>それなりに歴史のある国立大学で
つまり,それは幻想だということです。いまは存続に汲々として良識をかなぐり捨てた下劣な組織ですよ。

だれに認めるかという批判に対しては,ふつうは,ぼくが前の回答で書いたように入試成績でやるという内部の合意になったろうと思います。学生から「なぜ私が選ばれなかったのか」と詰問されたとき,入試成績しかそれをかわす言い訳がないからです。

>私も大学院生が評価されるもの主は研究であって取得単位がどうとかというのはそれほど就職で気にされるものではないと考えているので、その点に関しては別にコースに選ばれなくてもたいした損はしないと思います。ただ精神的な問題として私はこの後天的な努力を一切認めず一部の人間を特別扱いする制度が不満なのです。

学生に不公平感をいだかせ,モチベーションを下げたとしたら,この点でもこの制度は重大な欠陥があったといえます。じつはぼく自身も,ある一件で教授会で同様の主張をしているところですが,大学執行部はもう盲目としかいいようがありませんね。こういう問題を文科省にどなりこんでも「おなじ穴のむじな」だろうと思います。学長と大学執行部に強大な権限を与えたのは,彼らですから。

2010/07/25 13:47
回答No.3

さて,どこからコメントすればいいですかね。うちの大学院でも副専攻が認められていますが,任意選択であって選抜(人数制限)は行っていないはずです。

>このコースには定員があり選抜された学生のみがコース履修生になれます。

意図は2つ想定されます。1つは,本来の所属のほかに他を勉強する目的意識がはっきりしているかどうかだろうと思います。虻蜂取らずになる危険性をはらむので,コース履修生になったからといって率直に喜べないと思いますね。つまり,コース履修生になって途中で単位を集めることを放棄すれば,それまで履修した単位がすべて水泡に帰します。いっぽう,任意選択で必要な科目だけ勉強していれば,そのリスクはなく,最低限その科目の単位がとれないだけです。あなたは,この点まで考えが及んでいません。

2つは,こういう新しい制度をつくったものの(新しいことをやりますと文科省にゴマをすって予算をもらわないと経営が苦しくなる),ほとんどの学生が流動化すれば,それまでの教育体制が崩壊する危険性もあります。だから制限してパイロット事業としてやる。組織運営としては,ここが落としどころかなとぼくは思います。大学側もおっかなびっくりの面があるのですね。

>コース修了証を発行し就職などにも便宜をはかるというものです。

「コース修了証」を発行するのは,とても簡単です。紙代と印刷代で10万円もあればできるでしょう。その紙切れにどれだけの効力があるのか? 

大学側は何の保証もしていないのですよ。「就職に便宜」だなんて学生に案内したものの,具体的にどうするという策が示されましたか? 2年後に,コース修了生の一部から「こんなはずじゃなかった」という不満が噴出するのは,目に見えてますね。

>コースの選抜が努力が必要な学力試験ならまだ納得がいきますが、
>実際にはたった10分間の口頭試問もなにもない面接で選抜が行われました。

修士課程の入学試験成績(本人は自分が何点で合格したか知りません)を加味していると思います。および,体制崩壊をふせぐために,各専門分野から2名などと内部で調整しているでしょう。面接では,上述の目的意識を確認したはずです。

というわけで,コース履修生が,特権階級どころか実験動物になるかもしれないことが,おわかりですか?

お礼

2010/07/25 14:43

回答ありがとうございます

>>そのリスクはなく,最低限その科目の単位がとれないだけです。あなたは,この点まで考えが及んでいません。

いいえ、実は違うのです。
このコースの関連科目は「単位互換科目」なので、本科の修了要件単位にも入ります。
そのためコース履修生は本科の学生より多く単位を取得しているわけでもなく、
仮にコースの単位の履修を途中放棄したとしても、その単位は本科の修了要件単位には入るので
デメリットはまったくありません。副専攻よりもぬるい制度といえます。
このようにコース履修生はまったくのノーリスクなのです。
せいぜいコース履修を途中放棄したらコース担当教員からしかれるぐらいでしょうか。

>>大学側は何の保証もしていないのですよ。「就職に便宜」だなんて学生に案内したものの,具体的にどうするという策が示されましたか?

コース独自の推薦枠を設けるとのことです。
しかしこれは回答者さんのおっしゃるとおりコース自体まだ眉唾物であり、今のところ自己アピールの材料ぐらいにしか役に立たないだろうというのが大多数の教員の見解です。
私も大学院生が評価されるもの主は研究であって取得単位がどうとかというのはそれほど就職で気にされるものではないと考えているので、その点に関しては別にコースに選ばれなくてもたいした損はしないと思います。

ただ精神的な問題として私はこの後天的な努力を一切認めず一部の人間を特別扱いする制度が不満なのです。

質問者
2010/07/25 13:21
回答No.2

 「私は、税金をタップリ払っているのに、質問者の大学院には入れません。不公平だと思います。」に賛成してくれますか。
 あるいは、普通の医者よりも知識も技能もあるのに、患者を見ることができない人も知っています。

 ありふれた話です。それに、大学院は研究第一。単位の履修なんぞにかまけている暇はないと想いますが。まあ、指導教員が大変だなあと・・・。

お礼

2010/07/25 14:45

ありがとうございます。

確かに世の中に不条理なことはいくつもあると思いますが、
少なくとも修正できるものはできるだけ修正することが当たり前だと思います
まして国の税金で運営されている国立大学なのですから。

大学院が研究が第一という意見には私も同意です。

質問者

お礼をおくりました

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