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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:紀要査読について)

私の大学での査読についての質問とは?

2023/09/04 11:32

このQ&Aのポイント
  • 大学での査読について、私は多くの困惑を抱えています。査読結果が異常に低く、また査読者との関係が険悪な状況になっています。査読の点数が低くなる理由や大学側への交渉方法についてアドバイスをいただきたいです。
  • 私は文系の博士の院生ですが、私の大学では査読は十段階評価で行われています。しかし私は査読に通過したことがありません。しかも、査読の点数が回を重ねるごとに低くなっているのです。この異常な状況について大学側への交渉方法を相談したいです。
  • 私は大学院で紀要の査読を受けていますが、査読結果が異常に低くなっています。学年が上がるにつれて点数が低くなるのはおかしいと思います。また、査読者との関係も険悪で、拒否権を発動する点数が頻繁につけられています。大学側への交渉方法を教えていただきたいです。
※ 以下は、質問の原文です

紀要査読について

2012/09/03 10:42

文系の博士の院生ですが、紀要の査読についての質問です。私の大学では査読は十段階評価で、内部査読者が一人、外部査読者が一人という形をとっています。ところが、これの査読に私はかつて通過した事がないのです。私の至らなさを棚に上げる事は出来ません。しかし明らかに奇妙な事があるのです。今まで3回投稿しているのですが、その度に、査読の点が落ちていくのです。1回目が修士1年の時で14点。二回目が修士2年の時で10点。さらに博士2年の時が5点。これは明らかに変だと思うのです。学年が上がっているという事に加え、紀要より一般的には上位に位置づけられる学会誌の方は、私はよい点で査読に通るようになりました。レヴェルが落ちているはずはありません。何なのだろうと苦しんでいます。

客観的に見て出来が悪いだけなら納得は行くのです。実際、外部査読者のつける点数はボーダーとなる5点前後です。全体として点のつけ方が辛めなのかもしれないとは思います。しかし3回に共通した査読者(仮に査読者Aと呼ぶ)がおり、この査読者Aと私は険悪な仲です。彼と決定的に険悪になったのが修士2年の頃でした。一回目はともかく、二回目から私の査読が何かおかしい気がしています。
まず特に通常はあり得ない、拒否権を発動する点数が連発されているのです。拒否点とは最低点すれすれの1点と2点の事ですが、この点がついた論文は掲載されません。もう一人の査読者が仮に満点をつけても、再査読そのものをやめさせられます。が、査読者Aは拒否権を発動する点数つけています。
次に査読者Aは拒否点をつけておきながら、きちんとした講評を書いていません。誤字脱字が散見されます、また「論旨には概ね納得する」と述べておきながら、査読の点数に2点をつけるなどしています。執筆者を怒らせるために挑発しているとしか思えないのです。
さらにこれは私の事ではありませんが、別の院生に査読者Aは査読が不適切だったと認め、軽い形ではあるが詫びを言った事もあると聞いています。この院生は怒って学業をそのものから離れてしまったのですが、査読者Aは審査できないのではないかとも私は疑っています。

どこの大学でも当たり前かもしれませんが、私の大学では院生が査読に異論を唱える事は出来ませんし、査読者Aは基本的には匿名性によって守られています(あくまで内々に知っているだけです)。私としては自らの至らない点を認めつつも、せめて査読者Aに審査を離れてもらいたいのですが、大学側にそれを交渉する事は可能でしょうか。
ほとんど嫌がらせとしか思えないと考えた結果、ほぼ一年、鬱に陥ってしまい、特に査読者Aのコメントを読んだ時は、自殺しようかとさえ思ったほどでした。ちゃんと書いた論文なので、出来が悪くても、非礼や挑発が許せなかったからです。今後仮に及第点をつけたとしても、彼に何事かを言われるのも我慢ならないというくらいに嫌な気持ちになっています。

なおアカデミックハラスメントを立証するような、確たる証拠はありません。日頃から査読者Aとの交流はありません。彼にしても出来が悪い院生に愛想を尽かしつつも省エネで対応しているとか、指導の一環といえば、言い逃れられる範囲だと思います。私も査問委員会を招集してくれと大学当局に呼びかける気はありません。しかし精神状態が苦しいのであり、査読者Aと縁を切りたいのです。大学と事を構えず、穏便に済ませる方法はないでしょうか。紀要そのものの投稿は諦めるという選択肢は、この際、考えずにお答えいただけたらと思います。

最後に、全く悪意がなかったとしても、査読者Aのような状態が発生しうるとお考えでしたら、お教えいただけたらと思います(例えばもう片方の査読者の手前、身内である内部査読者は思い切り低い点を付けるのが慣例になっているなど。あるいは、査読で私情を挟む事は普通は一切無くて、質問者の被害妄想でしかないなど)。相手が何を考えているのかさっぱり分かりませんが、私としては、精神の安定を得たいのです。よろしくお願いいたします。

その他の回答 (15件中 6~10件目)

2012/09/05 19:53
回答No.9

私の回答に笑えるところがありましたか?
紀要にこだわるのは、あなたの精神衛生上よろしくないと思い、
真摯な回答をしたつもりですが。

査読者Aがどうこうというよりも、
お礼に(笑)などと無礼な事を書くような
あなたの人間性に問題があるのでは?
まずはそこから改善しましょう。

お礼

2012/09/05 20:34

それは失礼しました。しかし私にはとても真摯な回答に思えませんでした。お詫びがてら、なぜなのかを説明させていただきます。

>勝てるシナリオが思いつかないからです。

まず勝ち負けは聞いていません。そもそも論文とは勝ち負けの問題でしょうか。いいえ、学術には真実を追究しようとする態度があるだけではないでしょうか。またシナリオの問題でもありません。逆に言えば、勝てるシナリオが思いついたからと言って論文を掲載されても、何にも嬉しくありません。さらに、

>「諦める」が無難に思います。

それはもとより除外して考えていただくように質問に書いています。したがって、質問者の当初の要望を覆してまで投稿したいのでしたら、精密に論述していただく必要があると私は考えています。実際、他の方はそうしてくださっています。

特に学術の問題を勝ち負けとおっしゃるに及んで、私は、これは研究者ではない方が投稿してきたなと思いました。一般の方が私を気の毒に思って投稿したのかもしれない。あるいは、研究者ではあるが、冗談で投稿なさっているのかもしれない、と。(笑)とはそのような意味でした。何にせよ「冗談は嫌ですよ」という意味です。

さて、私は自分の考えを述べましたが、回答者様はどのようなお考えがあって投稿なさったのですか。果たして怒り心頭に発するほどクオリティの高い意見をお述べくださいましたか? これは私のような院生が常日頃、自分自身に問うている問題です。何を怒っているのか、私には申し訳ありませんが、わかりません。

そもそも「望む回答ではないと思いますが」と前置きしているように、相手が不快に思うかもしれないことは十分に予見できていたはずです。そして実際に、私が愛想無い返事をすると怒り出すとは、・・・大人げないんじゃありませんか。

質問者

補足

2012/09/07 11:52

別の質問で分かりましたが、D1の方だったのですね。それでなぜ妙なことを投稿してきたのかが、納得できました。あなたとしては悪気はないし、誠意を持って書いたつもりだったが、やはりD1の見解ではあるわけです。まだ学術のあれこれが分からないかと思います。分かる問題について、分をわきまえて投稿してくださるよう、お願いいたします。

質問者

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この質問は投稿から一年以上経過しています。
解決しない場合、新しい質問の投稿をおすすめします。

質問する
2012/09/05 18:03
回答No.8

望む回答ではないと思いますが・・・

>私としては、精神の安定を得たいのです。

であれば、「諦める」が無難に思います。

それは、質問者様が査読者Aに対して弱者であり、
勝てるシナリオが思いつかないからです。

お礼

2012/09/05 19:03

思いついたら、投稿してください。これはそういう知恵を拝借する質問です(笑)。

質問者
2012/09/05 04:30
回答No.7

 他の方の回答に対する補足やお礼の文章を読む限り、質問を書かれたあなたは焦燥感で満たされているという感じですね。
 私はいわゆる「名ばかり研究職」ですが論文の査読をすることもある立場なので、様々なシチュエーションを想定してみたのですが、結局は質問文の中にあるように“質問者の被害妄想でしかない”と考えれば納得がいく内容です。
 他の方々が回答を寄せられているように、必ずしもAという人間が査読をしたという確たる証拠はないわけです。どこの世の中に“今回の君の論文のレフェリーは自分だ”という人間がいるでしょうか。仮にAという人間が査読をしたものであっても、査読の評価について文句を言ったところでいまさら覆らないでしょうし、そんなことに無駄なエネルギーを費やしたところで何のメリットもないのは判っているはずです。
 私からすればあなたには“思い上がり”の傾向があると思います。いくらなんでも“レヴェルが落ちているはずはありません。”はひどい話だと思います。“ちゃんと書いた論文なので、出来が悪くても、非礼や挑発が許せなかったからです。”はもっとひどい言い回しです。同一の基準があるならまだしも、学会誌と紀要は査読の基準が違うのだろうから評価が異なって当然だし、あなたにとっては粗雑な内容のコメントであっても、それに噛みついたところでどうなるものでもないことも十分承知しているはずです。
 私が回答をしようと思ったのは、最後に「私としては、精神の安定を得たいのです。よろしくお願いいたします。」という一文があったからです。日頃は病院の医療相談やカウンセリングを生業としている人間からすれば、いまのあなたの状態はヒステリーの最たる状況にあると言えます。一番簡単な解決方法は、研究を諦めること。これが今のあなたにとっての最善の方法です。しかしこの回答ではきっと拒否反応を示すでしょう。業績を稼ぐことに凝り固まって、硬直化している思考では到底容認出来るものではない内容ですから。
 そして考えるなと言われても書かざるを得ないのが、“紀要への投稿に何故そんなにこだわるのか”ということです。論文をどうしても読んでもらいたい人がいるなら直接持って行けばいいだけの話。なにも紀要なんかの権威付けを借りなくとも、本当に自信のある内容の論文なら興味を持って真剣に読んでくれるはず。
 私なんかは文章を書き上げるとかつての指導教員がチェックしたがるので読んでもらうことにしているけれど、真っ赤に修正が入った挙げ句、書かれるコメントは“20数年来変わらない、究極のワンパターン”でおしまいです。一見カッときそうなコメントですが、暗黙の了解でこれがゴーサインなのです。つまり真っ赤に修正を入れられたとしてもそれはその人があなたの論文を読んで下した評価なのだから何も怖くないはずなのに、権威にすり寄ろうとしている今のあなたの状況が情けないのです。
 研究者なら査読で論文の評価が散々だったことぐらい、多かれ少なかれほとんどの人間が経験していることで特別なことではないのです。何時か壁にぶち当たる時が必ずあって、たまたまその時が今来ていると思えば少しずつでも状況は改善していくはず。この調子だと焦って墓穴を掘りそうな気がします。もし本当に悔しいと思うなら、一日も早く論文を査読する側に回れるよう考えるべきだと思いますが。
 

お礼

2012/09/05 08:37

>様々なシチュエーションを想定してみたのですが、結局は質問文の中にあるように“質問者の被害妄想でしかない”と考えれば納得がいく内容です。
 他の方々が回答を寄せられているように、必ずしもAという人間が査読をしたという確たる証拠はないわけです。どこの世の中に“今回の君の論文のレフェリーは自分だ”という人間がいるでしょうか。

います。それが査読者Aの不思議なところです。そして外部査読者が誰なのかも私は知っています。狭い世界ですから、内々で分かるのです。

>いくらなんでも“レヴェルが落ちているはずはありません。”はひどい話だと思います。“ちゃんと書いた論文なので、出来が悪くても、非礼や挑発が許せなかったからです。”はもっとひどい言い回しです。同一の基準があるならまだしも、学会誌と紀要は査読の基準が違うのだろうから評価が異なって当然だし、あなたにとっては粗雑な内容のコメントであっても、それに噛みついたところでどうなるものでもないことも十分承知しているはずです。

申し訳ないですが、おっしゃる意味が分からないので、言葉を補ってもらえませんか。まず、回答者様は評価基準が異なって当然だということを前提的に認めてらっしゃいますね。しかし評価基準が違うという意味が、私には了解できません。ジャーナルの場合、他の回答者から指摘があるように、学術の方向性が違うということもあるでしょう。ある特定の方向性の論文しか掲載しないということもあるでしょう。学派を作るためです。しかし紀要は、その大学に所属する教員や院生の研究を発表する場ではないですか。したがって、できるだけニュートラルであることが望ましいのではないでしょうか。 そしてこれに鑑みれば、「論旨は概ね納得」なのであれば、七割以上の点数をつけてしかるべきではないでしょうか。私は自分の本来享受してしかるべき権利が侵害されていると感じています。

> 業績を稼ぐことに凝り固まって、硬直化している思考では到底容認出来るものではない内容ですから。

>そして考えるなと言われても書かざるを得ないのが、“紀要への投稿に何故そんなにこだわるのか”ということです。論文をどうしても読んでもらいたい人がいるなら直接持って行けばいいだけの話。なにも紀要なんかの権威付けを借りなくとも、本当に自信のある内容の論文なら興味を持って真剣に読んでくれるはず。

カウンセリングを求めているつもりは無いのです。事実をきちんと認識し、それを受け止めることが重要だと考えています。しかし事実を認識するにあたって、院生の目線ではわからないことがあるかもしれません。それで質問させていただいております。
さて、業績に凝り固まっているつもりはありませんが、上の二つは同じお答えになると思います。要するに、読ませたい人がいるということが大きいのです。こういう馬鹿なことを考える人間は私くらいかもしれないので、匿名性を維持するために細部はお答えできませんが、あえて言えば、紀要を読む人は、学術研究者だけではないということです。


> 書かれるコメントは“20数年来変わらない、究極のワンパターン”でおしまいです。一見カッときそうなコメントですが、暗黙の了解でこれがゴーサインなのです。

どうやったら、そういう発想になるのですか。興味深いご指摘です。というのも、私なら研究そのものをゼロからやり直していると思います。実際、そうしてきました。しかしその度に、周囲の先生が嘆くので、私にはさっぱり理解できないのです。「あれ?ストップをかけたのは先生ではありませんか?」と。
私が興味を持つのは、次のことです。回答者様は何を求めて添削してもらっているのですか。投稿なさった文言をそのまま受け止めるのなら、教官の添削はきちんと受け止めておらず「まあどうせこれでいいんだろう、自分は自信があるし」と開き直っているように見えるのです。私なら相手に対して失礼と考えるので、そういうことはできません。私などの発想では、根回しのために、先生に見せているだけなのか?とも思えてしまいます。おそらく違うのですよね?

>権威にすり寄ろうとしている今のあなたの状況が情けないのです。
 

そうでしょうか。私は自分の正当と思う権利を要求しているだけのつもりです。そしてそれが侵害されているので、怒りを感じています。しかし回答者様は、私の「正当な権利」などありはしないとお考えなのでしょう。最初に述べられているように、私の言い分がひどいということでしたから。この見方を回答者様が固めた時点で、こういう帰結が導かれたのかもしれません。繰り返しになりますが、 最初の根拠を私に分かるように示していただけませんか。

お忙しい中、投稿して下さったのだと思いますが、今の記述では「被害妄想」と判断するには、十分な論拠がないと思います。私にとってはそう考えるのは辛いことですから、きちんと説明し、納得できるようにしてください。

質問者

補足

2012/09/05 08:41

お礼欄で書きそびれてしまったのですが、ご投稿、感謝しております。

質問者
2012/09/04 21:26
回答No.6

第3者の私があなたに悪意をもってもしょうがないでしょう。けんかをうるとか、どこからそういう発想になるのか???

まあ、よくわかっていないようなので言い換えましょうか?

>私には「おつきあい」の意味が分からないのですが、まともに中身を読んでいないという事ですか?

違います。教育熱心な先生だから読んだ上で長文の講評を書いてくれたのでしょう。ただ、内容に見るべきものがないから、外部の査読者としては5点。内部の先生が高い評価を与えるなら、大学の紀要程度だからのせてもらってもいいけど、採択に当たってのプライオリティは高くない。外部の人間が、その大学の学生にあまり厳しい点をつけるのはその大学の先生方、指導教官に失礼に当たるからあたりさわりのない=おつき合いで5点。これなら恨まれない。
こういう「可能性」は十分あり得ます。
「そうだ」といっているわけではありませんよ。
あなたの論文を読んだ訳ではないのですから。
客観的には可能性があると言う事です。別に悪意でいっているのではありませんよ。
第3者としてはそういう見方もありうるとのことです。
ちなみにどういうシステムかわからないのですが、5点がボーダーで二人で14点とか10点でも非採択というのがよくわかりませんね。
何点なら採択なのですか?


>毎回、異なる論文です

どこに同じ論文と書いてありますか?
単純化した例をあげます。論文1「Aという視点からBについて考察した」、論文2「Aという視点からCについて考察した、論文3「Aという視点からDについて考察した」という論文が1年毎に投稿された、とします。ところが論文の前提となるA自体が全然評価できないものだったとしたら、論文1はともかく、論文2,3と読まされたら、いい加減にしてくれと言いたくなりますしだんだん評価も低くなります。それは公平性、恣意性ががないというのとは違います。
いっておきますが「あなたの論文が棒にも箸にもかからない」といっているのではありません。
世の中にはいろいろな考え、意見がありますから、A先生の考えが、あなたと全く相いれないものであったら、いくら投稿しても無駄ということです。

あなたの意見とA先生の意見がどちらが絶対正しいということもないでしょうし、お互い違うけど認めないのはおかしいというのはあまりにもナイーブな考え方でしょう。

研究者は「他人がわたしの研究に注目していないのはそれだけ自分の研究が独創的なものだからだ」位の自信があってしかるべきです。

くよくよせずに一流誌に投稿してください。
ただジャーナルのエディター、査読者とその論文の内容の相性があるということもお忘れなく。
指導教官にOKだしてもらったのに紀要程度で落とされるなら、やはり相性が悪いのでしょう。

お礼

2012/09/05 08:40

再度のご投稿、ありがとうございます。他の回答者が指摘してくださったように、明らかに私は心の余裕が無いようです。自分だと残念ながら分からない事になっていますが、こうやって書いたものを前にすると、それがよくわかります。失礼、お詫びします。しかし、きちんと聞いてよかったとも、同時に思います。

>第3者の私があなたに悪意をもってもしょうがないでしょう。

それはそうです。でも回答者様は大学教員でいらっしゃるでしょう。一介の院生がグダグダ言っていることそのものが、身の程知らず度考える可能性があると思いました。残念ながら、私の周囲には、そうお考えの権威的な方もいらっしゃいます。

>

 外部の人間が、その大学の学生にあまり厳しい点をつけるのはその大学の先生方、指導教官に失礼に当たるからあたりさわりのない=おつき合いで5点。これなら恨まれない。

わかりました。そういう可能性は十分にありますね。

>何点なら採択なのですか?

年によって変わりますが、大体、十六点必要です。応募人数が多いからです。一体、どういう人が掲載に到るのか?と思うかもしれません。先生によっては、無条件に満点近い点数を出す人が数人いるのです。思想的な信条に基づいて判断しており、論証がおかしくても、方向性が同じだと思えば満点近くを出すのです。この人に当たれば、紀要掲載という意味では大変ラッキーな事になります。
この結果、あたる審査員によって、査読の基準は不平等に陥っています。さらに言えば(レヴェルは低いのだとしても)紀要が特定の学派のジャーナルのように思想的な偏りがあるという事態になっているともいえます。私はそれが理不尽だと思っています・・・(つまり審査の公平性を無視してもそれをやりたい先生方がいらっしゃるなら、隔年ででも別のジャーナルを作ってやってもらいたいと思っています)。




> どこに同じ論文と書いてありますか?


私は「同じ論旨の、しかも自分としては評価しかねる論文を3回も読まされた」という一節をそのように解釈いたしました。私は、毎回、論題も何もかも違う論文を投稿しているとお伝えしたのです。見方(シェーマや理論)も変えています。
しかし、私自身は同じ人間です。したがって私の癖とでもいうべきものそのものが、嫌だという事はあり得るかと思います。そうであればあるほど、学術の問題ではなく、人間性を否定されているような気になり、余計、嫌な気持ちになってくるのです。

>
世の中にはいろいろな考え、意見がありますから、A先生の考えが、あなたと全く相いれないものであったら、いくら投稿しても無駄ということです。

あなたの意見とA先生の意見がどちらが絶対正しいということもないでしょうし、お互い違うけど認めないのはおかしいというのはあまりにもナイーブな考え方でしょう。

正直に書きますが、私はそれが理不尽だと思っているのです。というのも、二人の人間が対立していている中で、先に投稿者であり、院生の私が査読者Aの見方を受け入れ、身を引くということですよね。しかし紀要は教育の場ではないでしょうか。そして相手は教員ではないでしょうか。どうして授業料などを納めて指導を仰いでいる立場の私が、先に譲らねばならないのか、と思うのです。もっとも世の中はそうできていないのかもしれません・・・。



> くよくよせずに一流誌に投稿してください。

確かに、自分のキャリア全般を考えると、査読者Aに何もかも崩されることこそ理不尽です。実際、私自身、良くない発想に飲み込まれることがあります。おっしゃるように視野を広げることが必要だと思いました。

質問者
2012/09/04 17:51
回答No.5

第3者としての率直な感想です。気に入らない点があれば読み飛ばしてください。

1.あなたの論文が紀要に発表されるに足るものかどうかはこの質問を読んだだけでは誰にもわかりません。学会誌に通ったといっても、それは別の論文でしょうから。しかも外部査読者もボーダー前後というのは、おつきあいとして5点はつけてみただけという可能性はありませんか?

2.指導教官は論文あるいはその評価について何といっているのですか?指導教官も落とされるのはおかしいとか、学会誌に出したら通ると思うとかいっていますか?

3.レベルの低い論文だから紀要に出してみたもののそれで通らなかったといって、不満をもってもしょうがありません。自信のある論文を学会誌に出せば良いのではありませんか?博士課程なら英文誌も含めれば、投稿先はいくつもあるのではありませんか?個人的な理由より学問的なことを優先しましょう。

4.論文の内容によって投稿先を変えるのは常識です。文系の場合根本的な考え方や学派が違うといくらりっぱな論文を書いても相手にされないといったこともあると思います。同じ論旨の、しかも自分としては評価しかねる論文を3回も読まされたので、いいかげんこの紀要には出さないで欲しいという意味での低得点かもしれません。

5.本当に3回ともA先生が査読をしという証拠があるのですか?「日頃から査読者Aとの交流はありません」のに、いまさら嫌がらせを受けるほど何か決定的なことがあったのですか?普通そのような関係になったら、他の教官に査読自体回してしまうと思うのですが。あなたの思い込みという可能性はありませんか?

お礼

2012/09/04 18:56

ありがとうございます。個人情報を聞くものであるわけですが、私が誰なのかが特定できない範囲でお答えさせていただきます。

>しかも外部査読者もボーダー前後というのは、おつきあいとして5点はつけてみただけという可能性はありませんか?


私には「おつきあい」の意味が分からないのですが、まともに中身を読んでいないという事ですか? とすれば、驚くべき事です。とても悲しい事ですし、そういう人に二度と査読をしてもらいたくありません。 しかし私の場合、外部査読者は三回とも四千字以上の講評を添えていますし、わざわざ資料をとりに、海外まで行っています。普通はそうなのだと思っていました。この文言は無礼と思うので、意味をきちんと説明してもらいたいです。回答者様の周りでは、よくあることだということですか?

>指導教官は論文あるいはその評価について何といっているのですか?

指導教官は論文それ自体について特に何も言っていません。私がアカハラで訴え出したら、巻き添えを食いたくないな、と思っているでしょう。全般については、「彼は本当に成長した」と言ってくれています。しかしそれを私の前では言ってくれませんが・・・。同様に悪口も言っていると思います。それは私の性格についてでしょうけれども。正直、査読者Aとの一件があってから、私の性格そのものがねじ曲がってしまうほどなのでした。


>レベルの低い論文だから紀要に出してみたもののそれで通らなかったといって、不満をもってもしょうがありません。

おっしゃる通りです。私としては最高のクオリティのものを出しています。当然の事です。また客観的に出来が悪いのなら仕方ないとも思っています。問題はそもそも、まともな審査がなされているのかが不安だという事です。また他の論文と比べて、公平性が維持されていないのじゃないか?とも感じています。

> 同じ論旨の、しかも自分としては評価しかねる論文を3回も読まされたので、いいかげんこの紀要には出さないで欲しいという意味での低得点かもしれません。

毎回、異なる論文です。実際、最初の論文は話になりません。しかしこれが一番点が高いのだから、納得いかないのです。もっとも査読者Aが私自身に対して、いい加減うんざりしているという事はあるかもしれません。「いいかげんこの紀要に出さないでほしい」というのが本音という事はありえます。正直、そう言ってくれたら、どんなにか楽な事かと思います。それを証拠に、通報できるわけですから。
しかし、一つはっきりさせておきたいのですが、大学紀要の審査に恣意性はあってはなりませんし、公平性が維持されてしかるべきではないでしょうか。ある特定の学派の出しているジャーナルであるならともかく、紀要はそういうものではありません。どういう意味でお書きになっているのか、もう少し正確にお願いします。



>本当に3回ともA先生が査読をしという証拠があるのですか?

内々に知っているだけですが、この点については確信しています。複数の言語を使用するので、もともと私の論文の査読をできる教員が三人もいないのです。しかし、おっしゃるように別の方にまわしてくれたら良いのですが。私も理解に苦しんでいます。
ただし個人的な諍いは表面化していません。

率直な感想というのはご自由ですが、ご回答、ほとんど喧嘩を売られているように思うのですが・・・。やはり「おつきあい程度で点を付けた」とか、「いいかげんこの紀要には出さないで欲しい」は、悪意なしにはありえないとお答えだと思います。何を意図して投稿なされたのか、明確になさってください。

質問者

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