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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:大正7年シベリア出兵の「非戦闘員」とは。)

大正7年シベリア出兵の「非戦闘員」とは

2023/10/12 19:38

このQ&Aのポイント
  • 大正7年(1918年)11月4日、陸軍省の調査によると、シベリア出兵には戦闘員42,200人と非戦闘員16,400人の計58,600人が動員されました。
  • 非戦闘員とは、戦闘任務に従事しない人たちのことです。
  • 例えば、看護婦なども非戦闘員に分類されます。
※ 以下は、質問の原文です

大正7年シベリア出兵の「非戦闘員」とは。

2016/12/30 19:51

大正7年(1918年)11月4日の陸軍省の調査では、計3個師団約58,600人を動員しています。
内訳は、戦闘員42,200人、非戦闘員16,400人、計58,600人です。
非戦闘員とはどんな人たちですか。
例えば、看護婦がそうですか。
米国への正式な報告では、非戦闘員も兵員数に入れています。
よろしくお願いします。


「ロシア革命の貨幣史 シベリア異聞 シベリア出兵」
このサイトの中ごろに、大正7年(1918年)11月4日の陸軍省調査の兵員数があります。

質問者が選んだベストアンサー

ベストアンサー
2017/01/02 14:23
回答No.2

>大正7年シベリア出兵の「非戦闘員」とは。

大まかではありますが、下記のとおり、
米国大統領の申出に対する回答振訓電
(大正7.11.16/内田外務大臣→在米国石井大使)の中には
「非戦闘員即チ衛生、輸送補給、通信等ノ勤務ニ従事スル者」
と記されています。

●日本外交文書デジタルアーカイブ>大正7年(1918年)第1冊
http://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/honsho/shiryo/archives/t7-1.html
15「シベリア」出兵関係一件
http://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/honsho/shiryo/archives/DT0002/0003/0002/0010/0015/index.djvu
[192-193/197](1017頁下段-1019頁下段)
○七一六 十一月十六日
 内田外務大臣ヨリ在米国石井大使宛(電報)
西比利亜派遣日本軍ノ態度ニ関スル米国大統領ノ申出ニ対スル回答振訓電
ノ件 第五三四号 極秘
─<中略>─
[1018頁上段14行目-下段10行目]
一 西比利亜(沿海州、黒龍州、後貝加爾州ノ三州ニ亘ル)及北満洲方面
派遣ノ日本軍兵力ハ一時ハ戦闘員四四、七〇〇名、非戦闘員二七、七〇〇
名、合計七二、四〇〇名ニ達シタルモ其ノ後還送ヲ了シ又現ニ還送中ニ属
スルモノヲ除クトキハ戦闘員四二、二〇〇名、非戦闘員一六、四〇〇名合
計五八、六〇〇名トナル惟フニ前記諸方面ニ於ケル全長約三千六百里ニ亘
ル鉄道ノ沿線ヲ警備シ西方ニ作戦スル「チェック」軍其ノ他与国軍ノ背後
ヲ安全ナラシメ且物資ノ輸送補給ヲ容易ナラシメムカ為ニハ此ノ兵力ハ決
シテ過大ナリト謂フヘカラス是レ曩ニ帝国政府ノ声明セル派兵ノ目的ヲ遂
行スルニ当然必要ナル兵力ニシテ又何レノ場合ニ於テモ当初決定セル計画
ノ範囲内ニ属スルモノナリ将又前記非戦闘員即チ衛生、輸送補給、通信等
ノ勤務ニ従事スル者ノ多数ナルハ軍トシテ甚タ望マサル所ナルモ地域ノ広
大ナルト後方補給線ノ延長セルトニ顧ミ已ムヲ得サルナリ
─<後略>─

以下は余談です。

シベリア出兵よりは少し遡りますが、
下記からは非戦闘員の微妙な位置付けも読み取れます。

●「近代日本における捕虜:
日清、日露戦争と第一次世界大戦における捕虜取扱いの比較研究/森雄司」
『中京大学大学院生法学研究論集25/2005-03-19』(p.339-498)
http://ci.nii.ac.jp/naid/110006201192
[63-64/160](401頁15行目-402頁1行目)
補助輸卒は、日露戦争にも満洲軍司令部附の法律顧問として従軍した有賀
長雄の評するところによると、人夫を使用した日清戦争と違い極めて良好
な成績であったという。
(有賀長雄『日露陸戦国際法論』偕行社、1911年、119-123頁。
なお、規律的な観点から見ると人夫の使用は好ましくないことだが、
秦郁彦編『日本陸海軍総合辞典』東京大学出版会、1991年によると、
日清戦争での人夫の数は、約一〇万人におよび、その給与は一般兵の一〇
倍に及んだ。第二補充兵の人数は約一一万一千人であり、金銭的な面でも
補充輸卒は大きく貢献した。)

[64/160](402頁2行目-8行目)
 また、補助輸卒を戦闘員か非戦闘員として扱うかは国際法上の問題にな
らず、内国的な問題であるが有賀はどちらにすべきか、なお研究を要すと
述べている。これについて少し詳しく述べたい。
交戦者を二つに分けて戦闘員と非戦闘員に分類できる。
戦闘員とは歩騎砲工輜重兵であり直接戦闘に従事する者をさす。
非戦闘員とは直接戦闘に参加しないものの、軍隊の編成に必要不可欠な者
をさす。それは軍医官、主計官、薬剤官、法官、野戦郵便部員、通訳官、
馬卒、雑役夫などである。
ついでに、軍医官、薬剤官、衛生部員などの医療に従事する者はジュネー
ブ条約で捕虜にすることは禁止されている。
戦闘員、非戦闘員も交戦者であるから国際法上の捕虜として扱われ、戦闘
員と非戦闘員の区別は国内的な軍事上の問題である。
(篠田治策『日露戦役国際公法』法政大学、1911年、603-604頁。)

[64/160](402頁9行目-16行目)
 さて、当初は補助輸卒を非戦闘員としたために武装はしていなかった。
そのため後方攪乱をロシア軍がすると補充輸卒は襲撃されて犠牲者を出す
こともあった。その一方で、補助輸卒に防衛のため棒、竹槍などを携帯さ
せ敵との戦闘に従事させた例も存在する。明治三八年(一九〇五)三月の
奉天開戦では補助輸卒に戦利品の銃を授けて、輸送勤務の傍らに使用法の
教練を行うようになっていた。
以下は鴨緑江軍の明治三八年(一九〇五)七月二日付の内山参謀長より
各部団隊へ宛てた通牒である。
今回各隊非戦闘員(補助輸卒)ノ約四分ノ一ニ戦利小銃及弾薬盒ヲ支給シ
従来非戦闘員ノ携帯シアリシ村田歩兵銃及弾薬盒ヲ返納セシメ、戦利弾薬
盒不足スルトキハ村田歩兵銃ノモノヲ以て充用スルコトニ相成候条此段及
通牒候也(有賀長雄『日露陸戦国際法論』偕行社、1911年、130頁。)

[65/160](403頁1行目-3行目)
 日本の野戦軍は、後方地域がしばしばロシア軍に襲撃されたり、その襲
撃の恐れが高まった場合に、補助輸卒、野戦郵便局員及び通信所員などの
非戦闘員を動員し、あるいは文官、志願した居留民をもって義勇団を編成
した。義勇団は上述した非交戦者を交戦者とするハーグ陸戦条約附属規則
の要件に合致するよう努めた。
(有賀長雄『日露陸戦国際法論』偕行社、1911年、131-138頁。)

以上

お礼

2017/01/03 20:29

ご回答真にありがとうございます。
該当する箇所を抜書きして下さっているので読みやすく、理解し易かったです。
親切なご配慮に感謝申し上げます。

非戦闘員とは、「衛生、輸送補給、通信等ノ勤務ニ従事スル者」ということですね。
よく分かりました。
また、「近代日本における捕虜: 日清、日露戦争と第一次世界大戦における捕虜取扱いの比較研究」によれば、
非戦闘員とは、「直接戦闘に参加しないものの、軍隊の編成に必要不可欠な者をさす。それは軍医官、主計官、薬剤官、法官、野戦郵便部員、通訳官、馬卒、雑役夫などである。」ということで、少し具体的ですね。

シベリア出兵は、思い出したくない帝国陸軍の負け戦ですが、も少し調べてみようと思っています。

質問者

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その他の回答 (18件中 1~5件目)

2017/01/20 12:21
回答No.18

恥ずかしながらNo.17の訂正です。

<訂正前>
・「同糧食縦列一箇(450=6+444)」を除外した場合:
試算「戦闘員2,337非戦闘員8,216計10,553」
試算「戦闘員0.2214/非戦闘員0.7785」

<訂正後>
・「同糧食縦列一箇(900=12+888)」を除外した場合:
試算「戦闘員2,337非戦闘員8,216計10,553」
試算「戦闘員0.2214/非戦闘員0.7785」

※なお、お気付きのとおり、私の試算上では将校除外等までは
行っていませんので大雑把なものです。※

あと、登山口間近のコーヒーブレイク。

(No.4 お礼コメント欄)
>非戦闘員が死んだ場合、「戦死」になるのだろうか、(No.12&13投稿済)
>戦死であれば靖国に合祀されるのか、(No.12&13投稿済)
>遺族年金はどうなのか、
>召集令状は出たのか、

上記のうち「遺族年金はどうなのか、」に勝手に注目してみました。

なお「召集令状は出たのか、」に関しましては、軍人か軍属かによっても
召集か募集・応募か、また日赤救護員の位置付けなど「非戦闘員」一纏め
では無理がありますので、次の機会?(笑)にでも・・・

先ず、下記からシベリア出兵時の非戦闘員とおぼしき「戦死」者を抽出し
ましたが、一般人ゆえ、氏名の頭文字をアルファベットに変更しました。

(1)●『大正七八年浦潮派遣軍第十二師団忠勇美譚/第十二師団司令部編/
川流堂小林又七/大正9.3.5』
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/942250/34
[34-44/132](18-39頁)
○田中大隊之部
廣島縣/第三大隊/三等軍醫正/T本源一
大分縣/第三大隊/一等計手 /N宮鬼也
大分縣/同   /二等看護長/S藤作藏
大分縣/第三機 /二等銃工長/G藤富倉
大分縣/11  /三等看護長/A木 登
大分縣/10  /三等看護長/O田乙彦
○西川砲兵中隊(野砲兵第十二聯隊第五中隊)之部
福岡縣/輜重輸卒/Y田仁右衞門
佐賀縣/同   /S藤茂吉

次に、再び既出の官報から抽出。
(2)●『官報.1920年04月14日/大蔵省印刷局[編]/日本マイクロ写真』
[1-3/26](345-348頁) ◎陸軍省告示第七號
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2954420/2
[2/26]
(346頁)
<2段目14人目>陸軍三等軍醫正從六位勳五等功五級 T本源一 廣島縣
<3段目01人目>陸軍一等計手勳七等功七級     N宮鬼也 大分縣
<3段目08人目>陸軍砲兵二等銃工長勳七等功七級  G藤富倉 大分縣
<3段目09人目>陸軍二等看護長勳七等功七級    S藤作藏 同
<4段目19人目>同(※陸軍三等看護長勳八等功七級) O田乙彦 同
<4段目20人目>同(※陸軍三等看護長勳八等功七級) A木 登 同
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2954420/3
[3/26]
(348頁)
<1段目28人目>陸軍輜重輸卒勳八等功七級     S藤茂吉 佐賀縣
<1段目29人目>同(※陸軍輜重輸卒勳八等功七級) Y田仁右衞門 福岡縣

続いて、海軍版ではありますが、下記から当時の法令を抽出。
(3)●『海軍制度沿革.巻6/海軍大臣官房/1939』
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1886710/83
[83-85/484]※「金鵄勳章」自体は省略します※
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1886710/85
[85/484](130頁下段-131頁上・下段)
◎金鵄勳章年金令
▽明治二十七年九月二十九日(勅令一七三)
改正{明治28年7月110號,39年8月208號,大正9年6月185號,昭和2年5月120號
金鵄勳章年金令
第一條 金鵄勳章ヲ賜フ者ニハ功級ニ應シ終身年金ヲ加賜ス
第二條 金鵄勳章年金ノ定額ハ左ノ如シ
   ─<中略>─
    功七級 六十五圓
第三條 本令ノ年金受領者死亡シタルトキハ仍一年間遺族ニ其ノ年金ヲ賜フ
─<後略>─
▽明治二十八年七月十五日(勅令一一〇)
明治二十七年勅令第百七十三號金鵄勳章年金令第二條左ノ通改正ス
第二條 金鵄勳章年金ノ定額ハ左ノ如シ
   ─<中略>─
    功七級 百圓
   ─<中略>─
▽大正九年六月十九日(勅令一八五)
金鵄勳章年金令中左ノ通改正ス
第三條ニ左ノ一項ヲ加フ
 前項ノ場合ニ於テ年金受領期間本人及遺族ヲ通シテ五年ニ滿タサルトキ
 ハ五年ニ滿ツ迄遺族ニ其ノ年金ヲ賜フ
附則
本令ハ公布ノ日(※大正9.6.21月曜・官報公布)ヨリ之ヲ施行ス
本令ハ大正五年以後金鵄勳章ヲ賜ハリタル者ニ之ヲ適用ス

(3)に基づいて大正八年戦死「功七級」の場合、
大正八年時点では金鵄勳章年金「百圓」を遺族が賜るところ、
大正九年六月十九日改正(※同月21日施行)により
「一年」から「五年」に伸張。

(2)では(功五級)「軍医」(功七級)「計手・銃工長・看護長・輜重輸卒」
など金鵄勳章を賜ったことで、遺族(金鵄勳章)年金に繋がったようですが、
ほか既出の一部のシベリア出兵「戦死又は戦傷後死歿」はどうでしょう?
再度、(2)●『官報.1920年04月14日』
[1-3/26](345-348頁) ◎陸軍省告示第七號
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2954420/3
[3/26](348頁4段目14-18人目)
「陸地測量師1、陸軍通譯1、陸地測量手1、傭人2」計5名には「功級」が
付されていませんので、少なくとも金鵄勳章年金対象ではないですが、
他に何らかの受給の可能性は残ります。

ここまではシベリア出兵限定のお話ですが、他はどうでしょう?
「功級」の付されていない「戦死又は戦傷後死歿」を改めて
『官報.1920年04月14日』◎陸軍省告示第七號で見ますと、
官報に誤字・脱字等が無い限り、
「通譯6、馬丁1、陸軍輜重輸卒1、雇員1、傭人1、憲兵補助員1」計11名と
「陸軍歩兵特務曹長1・陸軍歩兵伍長4・陸軍歩兵上等兵30」計35名は
「戦死又は戦傷後死歿」であっても、少なくとも金鵄勳章年金対象ではな
かったようです。

参考URL
〇防衛研究所>出版物>『戦史研究年報第15号(2012年3月)』
http://www.nids.mod.go.jp/publication/senshi/201203.html
●「旧軍における退役軍人支援施策-大正から昭和初期にかけて-
/石崎吉和・齋藤達志・石丸安蔵」
http://www.nids.mod.go.jp/publication/senshi/pdf/201203/06.pdf
[13-/37](3)各種金銭的支援施策 a 金鵄勲章年金 など

以上

お礼

2017/01/22 19:46

度々のご回答真にありがとうございます。
独断でまとめておきます。

1.非戦闘員とは「衛生、輸送補給、通信等ノ勤務ニ従事スル者」ということが分かりました。
“通信等”ということで、「通信」と「その他」に分けます。
「非戦闘員とは直接戦闘に参加しないものの、軍隊の編成に必要不可欠な者をさす。
それは軍医官、主計官、薬剤官、法官、野戦郵便部員、通訳官、馬卒、雑役夫などである」
ということで、「その他」にします。(#2ご回答から抜粋)
「戦闘員とは歩騎砲工輜重兵であり直接戦闘に従事する者をさす」ということですね。
では、輜重兵は当然輜重隊に属すると思いますが、この場合の輜重兵は戦闘員になるのでしょう。

2.輸送補給や通信の部隊であっても統率者(おそらく将校以上)は、戦闘員になるのか否か、分かりません。

3.非戦闘員の過半は、輸送補給部隊に属しています。

もともと「非戦闘員とはどんな人たちですか」という質問でしたから、お蔭様で解決しました。
感謝申し上げます。

質問者
2017/01/18 18:00
回答No.17

下山途中の足掻き再び

No.16の下記箇所に関しまして

以上の如く人員数不明部隊等複数有りますので大雑把ですが、
還送「戦闘員2,500非戦闘員11,300計13,800」
「2,500÷13,800=0.1811」「11,300÷13,800=0.8188」
還送「戦闘員約18%:非戦闘員約82%」と照らし合わせて見ますと、

試算「戦闘員2,337非戦闘員9,116計11,453」
試算「戦闘員0.2040≒約2割/非戦闘員0.7959≒約8割」

決してデータ改竄の意図は無かったのですが、

●標題:陸軍動員、編制関係(4)
https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/image_C10128408300
[38/50]の復員部隊等の内、先頭の「輜重兵第三大隊(糧食一縦列缺)」の
「糧食一縦列缺」の除外を忘れていました(泣)
下記のとおり内訳中から、名称重複(各々別個の名称重複か全てが重複か
判断出来ませんので、便宜上各々別個とみなしました)の
「同糧食縦列一箇(450=6+444)」又は「同糧食縦列一箇(900=12+888)」の
何れかを除外する必要があります。
なお、縦列は便宜上、非戦闘員と見なしました。

・「同糧食縦列一箇(450=6+444)」を除外した場合:
試算「戦闘員2,337非戦闘員8,666計11,003」
試算「戦闘員0.2123/非戦闘員0.7876」

・「同糧食縦列一箇(450=6+444)」を除外した場合:
試算「戦闘員2,337非戦闘員8,216計10,553」
試算「戦闘員0.2214/非戦闘員0.7785」

上記何れかに訂正となります。
「名称重複(各々別個の名称重複か全てが重複か判断出来ませんので、
便宜上各々別個とみなしました)」の全て重複=
「同糧食縦列一箇(900=12+888)」以外不存在の場合の計算は省略。

各方面から落書との御言葉が聞こえてきそうですが・・・
復員15部隊のうち8つ(○:人員数有)などの各内訳計算は下記のとおり
です。また7つ(×)は人員数不明のままです。

○輜重兵第三大隊(糧食一縦列欠)
輜重兵第三大隊特種彈縦列(119=4+115)・輜重兵第三大隊本部(21=5+16)・
同歩兵彈藥縦列一箇(167=5+162)・同砲兵彈藥縦列一箇(229=5-224)・
同糧食縦列一箇(450=6+444)・同砲兵彈藥縦列一箇(229=5+224)・
同糧食縦列一箇(450=6+444)・同歩兵彈藥縦列一箇(167=5+162)・
同砲兵彈藥縦列一箇(229=5+224)・同糧食縦列一箇(900=12+888)・
同馬廠(101=2+99)

○輜重兵第十二大隊
輜重兵第十二大隊歩兵彈藥縦列一箇(167=5+162)・
同砲兵彈藥縦列一箇(229=5+224)・同糧食縦列一箇(450=6+444)・
同本部(21=5+16)・同特種彈縦列(218=3+215)・同糧食縦列一箇(450=6+444)
・同歩兵彈藥縦列一箇(167=5+162)・同砲兵彈藥縦列二箇(458=10+448)・
同糧食縦列二箇(900=12+888)・同馬廠(101=2+99)

○山砲兵第一聯隊
山砲兵第一聯隊第一大隊(一中隊欠)(663=17+646)・
山砲兵聯隊段列半部(278=3+275)・山砲兵第一聯隊彈藥縦列(281=5+276)

○野戦重砲兵第四聯隊
野戰重砲兵第四聯隊第二大隊(451=13+438)・同段列半部(147=2+145)・
同本部及第一大隊(562=16+546)・同聯隊段列半部(145=1+144)・
同彈藥縦列半部(222=1+221)・同糧食縦列半部(224=1+223)

○野戰重砲兵第四聯隊輜重隊
野戰重砲兵第四聯隊輜重隊本部(14=2+12)・同彈藥縦列半部(223=2+221)・
同糧食縦列半部(225=2+223)

○獨立野戦重砲兵大隊
獨立野戰重砲兵大隊(605=15-590)

○第一師團架橋縦列
第一師團架橋従列長以下(22=5+17)・同架橋従列第一小隊(175=1+174)・
同架橋従列第二小隊(175=1+174)・同架橋従列第三小隊(176=1+175)

○第三師團第一・第二兵站輸送縦列
第三師團第一第二兵站輸送縦列(852=12+840)

×山砲兵第一聯隊輜重隊       ×近衛師團架橋縦列
×第十二師團第一・第二兵站輸送縦列 ×輜重兵第三大隊補充隊
×輜重兵第十二大隊補充隊      ×山砲兵第一聯隊補充隊
×野戰重砲兵第四聯隊補充隊

あと気になっていますのが下記の御言葉

>電信や電話を業務とする部隊は、非戦闘員の部隊かと思っていました
>が、電信・電話は師団の運命を左右する業務で、前線で活動するわけ
>ですから、はたして非戦闘員としてよいのか疑問です。

決して黙殺しているわけではありませんが、なかなか手が回りません(泣)

「電信・電話は師団の運命を左右する業務」と仰る事に異存はありません
が、武器・糧食などの輸送補給も同様ではないかと私考しています。

投稿者自身が言うのは無責任との誹りを受けるかもしれませんが、
公的文書の実例として貼付けたNo.2の「非戦闘員即チ衛生、輸送補給、
通信等ノ勤務ニ従事スル者」に関しまして、「衛生」は特に問題が無いよ
うですから横に置くとしても、三本柱と申しますか、1・2・3と申しま
すか、「衛生」「輸送補給」と並ぶ「通信等ノ勤務ニ従事スル者」が郵便
は含まれるとしても、ほか単に通信社・新聞社等の記者・特派員等を指す
だけとも思い辛いです、何しろ上記以外にも各種の文官・軍属などの非戦
闘員が存在しますので。

電話・電信関連では部隊内の通信掛(通信兵)のみが非戦闘員なのか、
電話・電信の設営・維持担当等は戦闘員なのかなど、
何れも明確な根拠は見出せていませんと言いますか、
手が回っていないのが実情ですが、
現時点では非戦闘員扱いと私考しています。
(全体数が把握出来ない限り断定は無理ですが、これまでの経過から、
仮に電話・電信の設営・維持担当を戦闘員とすると大幅な非戦闘員激減
に繋がってしまうように思っています。)
何れの部隊にしても戦闘員と非戦闘員の線引きは疑問だらけで、
堂々巡りしながらの下山途中です(笑)

下山を決めたのは、全体の人員数が把握出来れば、
試算・推計により疑問点の幾つかは解消する=頂上を目指すでしょうが、
どうやら現状では全体人員数が把握出来ないと判断したからです。

以上 後半部は独り言です

2017/01/17 18:38
回答No.16

>当時の軍部が軍の判断で「非戦闘員」と分類しただけだと思います。

>補助輸卒に限らず軍の判断で「非戦闘員」に分類できたのでは
>ないかと思います。

重複しますが、No.2「戦闘員か非戦闘員として扱うかは国際法上の問題に
ならず、内国的な問題である(有賀)」だったのでしょう。

>編成表に明記されていなければ、結局、非戦闘員を抽出できないのでは
>ないでしょうか。

仰せのとおりだと思います。
恐らく明確な定義付けなどしていなかった可能性が高いように思います。
国内向けと同時に、対米外交辞令用でもあったのかもしれません。

結果的に「編成表に明記」情報などは全く得られませんでした。
そのため、特にNo.6~No.12は落書の御指摘を受けてもやむを得ません。

ただ、行きがかり上、登山口から三合目(総数72,400名)、
次に五合目(帰還後58,600)の人数把握を目指したゆえ
致し方なかった点も御理解賜れば幸いです。

さて、部隊単位や留守師団人員数を除外した派遣師団全体人員数など
人員数不明箇所も残りますが、一連の流れの結果、
No.14&15に辿り着いたことにより、部隊名などは概ねクリアになってきた
ように思います。

以下は二合目ウロウロから下山直前の最後の足掻きです。

●標題:陸軍動員、編制関係(4)
https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/image_C10128408300
[7/50]
出動部隊一覽表 大正七年十月五日調 參謀本部第一部
[48/50]
出動部隊一覽表 大正七年十二月七日調 參謀本部第一部

「十一月四日調」が無いのが残念ですが、上記から再びNo.6~No.12同様
の落書再開?と思われたかもしれませんが「安心して下さい」(笑)

今回は、少しだけ違った別角度から下記に注目してみました。

「以上合計
 戦闘員42,200非戦闘員16,400計58,600
今月中還送すべき人員を含みたるとき
 戦闘員44,700非戦闘員27,700計72,400」

上記から還送「戦闘員2,500非戦闘員11,300計13,800」
「2,500÷13,800=0.1811」「11,300÷13,800=0.8188」
還送「戦闘員約18%:非戦闘員約82%」

続いて下記に注目してみました。
上記「今月中還送すべき人員」と
下記「槪ネ十一月中旬ヨリ十二月中旬ニ亘ル間ニ於テ復員スル豫定ナリ」
の差異は弱点ですが、個別に確認作業となると落書再開に繋がりますので
「第一號」に免じて御容赦下さい。

[38-39/50]
復第一號
左記部隊ノ復員ヲ令セラル槪ネ十一月中旬ヨリ十二月中旬ニ亘ル間ニ於テ
復員スル豫定ナリ
─<中略>─
大正七年十一月十一日─<後略>─

上記<中略>中の15部隊等の内
No.6~No.12で概ね人員数が確認出来る部隊等と
それ以外に下記の「第一師團架橋従列(長以下・第一~第三小隊)」
●標題:陸軍動員、編制関係(2)
https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/image_C10128408100
[2/51]
を追加算入した合計「11,453名」。

その内「名称のみで部隊単位で戦闘員と見なしたもの」は下記。
もちろん、下記部隊内には「主計・計手・軍医・看護長・看護卒・馬卒・
ほか文官、軍属などの存する可能性は十分にありますが、今回は無視しました。

輜重兵第三大隊本部(21=5+16)・輜重兵第十二大隊本部(21=5+16)・
山砲兵第一聯隊第一大隊(一中隊欠)(663=17+646)・
野戰重砲兵第四聯隊第二大隊(451=13+438)
野戰重砲兵第四聯隊本部及第一大隊(562=16+546)
野戰重砲兵第四聯隊輜重隊本部(14=2+12)
獨立野戰重砲兵大隊(605=15+590)
の小計「2,337名」

あと、輜重兵第三大隊補充隊・輜重兵第十二大隊補充隊・
山砲兵第一聯隊補充隊・野戦重砲兵第四聯隊補充隊・
山砲兵第一聯隊輜重隊・近衛師團架橋縦列・
第十二師團第一・第二兵站輸送縦列などは人員数?につき未算入。

以上の如く人員数不明部隊等複数有りますので大雑把ですが、
還送「戦闘員2,500非戦闘員11,300計13,800」
「2,500÷13,800=0.1811」「11,300÷13,800=0.8188」
還送「戦闘員約18%:非戦闘員約82%」と照らし合わせて見ますと、

試算「戦闘員2,337非戦闘員9,116計11,453」
試算「戦闘員0.2040≒約2割/非戦闘員0.7959≒約8割」

以上のことから、概ね「名称のみで部隊単位で戦闘員」と見なしても
近似値が得られるところを見ますと、
案外当時もその程度だったのかもしれません(笑)

以上 最後の足掻きでした

2017/01/16 18:44
回答No.15

No.14の経過報告。

「先ほど対処しまして閲覧できるように修正しましたので、
ご確認ください。」(16:00着信)との応答メールを先程確認しました。

この場を借りて「アジア歴史資料センター」担当者様に
スピーディな対応に謝意を申し上げます。

早速、6件(301コマ)を軽く流し読みしてみましたが、
既知情報もあり目に止まったのは「陸軍動員、編制関係(2)(3)(4)」の
各一部分、熟読はしていませんが、その中では、
「陸軍動員、編制関係(4)」の[48/50]
「大正七年十二月上旬調」で人数記載も無く部隊名だけとは言え、
「出動部隊一覧表」には、第三・第七・第十二各師団と関東都督、
参謀総長の各隷下部隊名が記されいます。
いまのところ、私的に今回の成果は上記程度で、
結果的に戦闘員・非戦闘員の区別には結び付きませんでしたが、
御時間の許す時にでも御覧いただければ幸いです。

以上 下山も視野に入れざる得ませんが 経過報告まで

お礼

2017/01/19 21:52

「陸軍動員、編制関係(4)」の[7/50] 
「出動部隊一覽表 大正七年十月五日調 參謀本部第一部」を見ました。
部隊名だけですがすっきりと纏めてあるので見易いですね。

「戦闘員」部隊と「非戦闘員」部隊の区別について、私自身の考えも徐々に固まってきました。
今までは曖昧な判断で両者を区分したこともありましたが、「非戦闘員即チ衛生、輸送補給、通信等ノ勤務ニ従事スル者」の原点に戻りました。
戦闘員とは、武器を持たず(自分を守るだけの最少の兵器を除く)、したがって戦闘に参加できず、また敵の攻撃を受けても直ちに応戦できない者と決めました。
部隊名では「輜重隊」「電信隊」「病院」等です。

この方針で、部隊名の多い第12師団に注目しました。
第12師団の組織は、直轄諸部隊と兵站所属部隊に二分されています。
直轄諸部隊の内、戦闘員部隊と推定されるのは、野戦重砲兵大隊、山砲兵第一聯隊第一大隊、同聯隊段列二小隊、第一航空隊。
臨時鉄道聯隊第一大隊(第一中隊欠)は、工兵の集団ですから戦闘員部隊。

非戦闘員部隊と推定されるのは、山砲兵第一聯隊輜重隊ノ弾薬一縦列、野戦電信第18中隊、第一無線電信隊、第一軍楽隊、第一臨時測図部。
近衛師団と第一師団から架橋縦列2個隊が応援に入っています。
おそらく工兵の集団でしょうから戦闘員部隊と思いますが、よく分かりません。


分かりにくいのは、師団司令部です。
師団司令部には、戦闘員も非戦闘員もいたでしょう。
8月の乗船計画では、「第十二師團司令部/師團長及幕僚其他若干/」、「第十二師團司令部           /(將校-下士卒) 64 - 414 /」として2箇所に記載されています。
64名の中には法官、主計官が含まれるから、将校といっても全員が戦闘員ではないですね。
下士卒414名ですが、連合国との共同作戦なので英語、ロシア語以外にフランス語、イタリア語、中国語などの通譯も多数いたのでしょう。非戦闘員ですね。
しかし、幕僚の身辺警護の兵士もいたはずで、彼らは戦闘員になるでしょう。
因みに、第三師團司令部も 65 – 415 です。
師団の守備部隊はどうなっているのでしょう。
約410名の半数近くは師団の守備部隊ではないのか、疑問です。
軍楽隊は非戦闘員としましたが、おそらく音楽はほんの一部の業務でしょうから、全員が非戦闘員ではないしょう。

次に兵站所属部隊ですが区分しにくいです。
戦闘員部隊は、野戦砲兵隊、野戦工兵隊。
第十二師団兵站監部と第一師団第一第二兵站司令部には、戦闘員と非戦闘員が混在していますね。
9月の乗船計画では、第十二師團兵站監部(將校-下士卒) 29 - 109 、第一師團第一第二兵站司令部 16 - 82 です。
第一乃至第四輜重監視隊は「監視隊」の意味が分かりません。
8月の乗船計画では、この輜重監視隊は(將校-下士卒 4 - 208) ですが、全員が輜重兵であれば全員戦闘員となります。
一部は非戦闘員なのか、疑問です。将校は戦闘員とみなすべきでしょう。
兵站電信第三中隊、臨時兵站電信隊は通信系ですから非戦闘員です。
乗船計画では、兵站電信第三中隊( 7 – 335 )臨時兵站電信隊( 11 - 330 )なので、将校は戦闘員とみなすべきでしょう。
被服補修部、野戦建築部、薪炭採集部、糧秣蒐集部はどんな業務か知りませんが、非戦闘員と分類されるのでしょう。
ただし、衛生、輸送、通信の範疇外なので、「その他」という区分も必要です。
他の部隊は、名称から「衛生」「輸送補給」「通信」と分類できます。
非戦闘員部隊であっても、法官、医官、主計官を除きすべて将校は戦闘員とされるのでしょう。
想像するしかありません。

非戦闘員の輪郭が見えてきたので満足です。
ご協力に感謝申し上げます。

質問者
2017/01/16 12:03
回答No.14

二合目辺りからの現場報告。

非戦闘員内訳が判明するか否かは別にしても
「大正7年(1918年)11月4日陸軍省調査」資料が見つかれば
よろしいのですが、見出せない現状では他を当たるしかありません。
No.4
>第3師団19.4%と第7師団42.7%の差はどこから来ているのか、
>調べていますが分かりません。
これも大いに興味がありますが、
二合目ウロウロでは全く手が出ません(泣)

実は「アジア歴史資料センター」WEB内、キーワード検索の最中
「公開」クリックをしても「画像を表示できません」現象が幾つか
あり、当初は気にもとめていませんでしたが、少し調べてみますと、
ある特定の簿冊と判明。
下記の全25件の何れにアクセスしても、全て「画像を表示できません」
実質非公開の状況にあります。

よって、本日深夜「アジア歴史資料センター」宛に不具合情報として
注意喚起メールを送信しました。

〇防衛省防衛研究所>海軍省公文備考類>(11)戦役等>日独戦書>
 大正3年~9年 大正戦役 戦時書類 巻173
 西比利亜方面派遣帝国陸軍に関する件  ※全25件(953コマ)※

・表紙「大正戦役 戦時書類 巻173 
 西比利亜方面派遣帝国陸軍に関する件 大正3年~9年」
https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/image_C10128406400
・目次「大正3年~9年 大正戦役 戦時書類 巻173 
 西比利亜方面派遣帝国陸軍に関する件」 [1]
https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/image_C10128406500
・西比利亜方面派遣帝国陸軍に関する件(大正7年~大正11年) [1]
https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/image_C10128406600
・浦塩出兵に関し帝国政府の宣言及出兵関係(1) [50]
https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/image_C10128406700
・浦塩出兵に関し帝国政府の宣言及出兵関係(2) [41]
https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/image_C10128406800
・浦塩出兵に関し帝国政府の宣言及出兵関係(3) [59]
https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/image_C10128406900
・浦塩出兵に関し帝国政府の宣言及出兵関係(4) [48]
https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/image_C10128407000
・兵員派遣(増加配嘱)(1) [52]
https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/image_C10128407100
・兵員派遣(増加配嘱)(2) [40]
https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/image_C10128407200
・尼市派遣軍出発時期に関する件 [13]
https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/image_C10128407300
・帰還、撤兵  [7]
https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/image_C10128407400
・加奈陀兵西比利亜出兵 英国軍軍委員撤退  [8]
https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/image_C10128407500
・諸報告(1)       [47]
https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/image_C10128407600
・諸報告(2)       [53]
https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/image_C10128407700
・諸報告(3)  [50]
https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/image_C10128407800
・諸報告(4)  [62]
https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/image_C10128407900
・陸軍動員、編制関係(1)  [49]
https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/image_C10128408000
・陸軍動員、編制関係(2)  [51]
https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/image_C10128408100
・陸軍動員、編制関係(3)  [50]
https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/image_C10128408200
・陸軍動員、編制関係(4)  [50]
https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/image_C10128408300
・陸軍動員、編制関係(5)  [49]
https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/image_C10128408400
・陸軍動員、編制関係(6)  [53]
https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/image_C10128408500
・陸軍動員、編制関係(7)  [44]
https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/image_C10128408600
・陸軍動員、編制関係(8)  [55]
https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/image_C10128408700
・陸軍動員、編制関係(9)  [20]
https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/image_C10128408800

上記各別にアクセスするよりは「レファレンスコード検索」にて
https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/reference
「レファレンスコード」=[ C10128406300 ]と入力、< 検索 >クリック、
簿冊1件が表示、簿冊「大正3年~9年 大正戦役 戦時書類 巻173
 西比利亜方面派遣帝国陸軍に関する件」箇所をクリック、
全25件表示、この方が全体像を掴み易いと思います。

私が知りたい内容は、作成者&作成年月日から、
全25件中少なくとも下記6件(301コマ)です。

・兵員派遣(増加配嘱)(1)
・陸軍動員、編制関係(1)
・陸軍動員、編制関係(2)
・陸軍動員、編制関係(3)
・陸軍動員、編制関係(4)
・陸軍動員、編制関係(5)※「曩ニ帰還ヲ令セラレタル部隊ノ輸送ハ
茲ニ全ク終了ス」等帰還関連※

以上 二合目から三合目又は五合目に到達出来るのか
公開でもやはり一部の情報に過ぎず二合目ウロウロか
はたまた非公開閉鎖あるいは放置継続か
蓋を開けてみないことには取らぬ狸の皮算用状態ですが
近々に返信メール等なんらかのリアクションあって
間に合えば報告致しますが、無い場合は、追々アクセスを試みて下さい。

非公開閉鎖や放置継続ではなく公開対処を祈りつつ・・・
このルートもダメなら下山も考えざる得ません(笑)

お礼をおくりました

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