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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:大正7年シベリア出兵の「非戦闘員」とは。)

大正7年シベリア出兵の「非戦闘員」とは

2023/10/12 19:38

このQ&Aのポイント
  • 大正7年(1918年)11月4日、陸軍省の調査によると、シベリア出兵には戦闘員42,200人と非戦闘員16,400人の計58,600人が動員されました。
  • 非戦闘員とは、戦闘任務に従事しない人たちのことです。
  • 例えば、看護婦なども非戦闘員に分類されます。
※ 以下は、質問の原文です

大正7年シベリア出兵の「非戦闘員」とは。

2016/12/30 19:51

大正7年(1918年)11月4日の陸軍省の調査では、計3個師団約58,600人を動員しています。
内訳は、戦闘員42,200人、非戦闘員16,400人、計58,600人です。
非戦闘員とはどんな人たちですか。
例えば、看護婦がそうですか。
米国への正式な報告では、非戦闘員も兵員数に入れています。
よろしくお願いします。


「ロシア革命の貨幣史 シベリア異聞 シベリア出兵」
このサイトの中ごろに、大正7年(1918年)11月4日の陸軍省調査の兵員数があります。

その他の回答 (18件中 6~10件目)

2017/01/15 17:04
回答No.13

登山口から三合目(総数72,400名)、次に五合目(帰還後58,600)を目指し、
その後、頂上(戦闘員・非戦闘員区分)などの目論見は遙か彼方で、
未だ二合目辺りをウロウロしている次第でございます(泣)

No.12では「非戦闘員」「戦死」(扱い)?と単純に浅く応答したために、
特にシベリア出兵に関しては未確認でした。

> 「戦争」で死んだわけではないので死者を
>「戦死」扱いにするのかな、という疑問でした。

一例に過ぎずまた戦死日付も不明ではありますが、
既出No.12の『官報.1920年04月14日』のうち、
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2954420/3
[3/26](348頁4段目14-18人目)
陸軍省告示第七號「陸地測量師1、陸軍通譯1、陸地測量手1、傭人2」、
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2954420/4
[4/26](351頁6段目13-14人目)
陸軍省告示第八號「陸地測量手2」と各々「5名&2名」は
下記により確認出来ました。

●標題:14、陸地測量部第57号(合祀の件)
https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/image_C13110048800

特に持ちネタも無く、残念ながら態勢に影響はありませんが、補足など。

No.6の<1>一部補完訂正の件。

下記<C03010068300>により既出No.6の冒頭から26行目<1>一部補完訂正。
●標題:沿海州派遣第1次輸送部隊船舶輸送計画
https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/image_C03010068300
[14/18]

<1>●標題:第12師団長隷下部隊沿海州派遣の件
https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/image_C06032002200

□不明□聯隊判明&騎兵第十二聯隊第一中隊将校数訂正(8→6) 前

?□□□□□□□聯隊?/□□ - □□ /
第十師團第六陸上輸卒隊/ 1 - 320 /
騎兵第十二聯隊第一中隊/ 8 - 159 /
○ 計        / 92 - 4111 /

判明&訂正 後

歩兵第二十四聯隊   / 85 - 3632 /
第十師團第六陸上輸卒隊/ 1 - 320 /
騎兵第十二聯隊第一中隊/ 6 - 159 /
○ 計        / 92 - 4111 /

次に、No.8の<8>とNo.11の<24>の「臨時鐵道聯隊」各所属の件。

下記<C03010097900>により、<8>は「第十二師団」
<24>は「関東都督」の確認はとれました。

No.8の<8>
臨時鐵道聯隊第一大隊増加人員及材料廠
 乘船(※宇品10.15)上陸日次豫定表 上陸地 浦潮(※10.19)
臨時鐵道聯隊第一大隊増加人員  / 0 - 68 /
第一大隊材料廠          / 3 - 41 /
○ 計             / 3 - 109 /

No.11の<24>
<24>
臨時鐵道聯隊 乘船(※宇品10.13)上陸日次豫定表
 上陸地 釜山(※10.15)
臨時鐵道聯隊(浦潮行ノ分ヲ除ク)/ 45 - 1008 /
○ 計            / 45 - 1008 /

●標題:臨時鉄道連隊派遣に関する命令伝宣済の件
https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/image_C03010097900
[1/5]
臨時鉄道聯隊派遣ニ関スル命令傳宣濟ノ件通牒
大正七年十月四日参謀總長男爵上原勇作
陸軍大臣田中義一殿
首題ノ件ニ関シ別紙ノ通関係諸官ニ命令傳宣濟ニ付及通牒候也
[2/5]
命令
一、臨時鐵道聯隊第一大隊(第一中隊欠)ヲ沿海州方靣ニ派遣シ
  第十二師團長ノ隷下ニ屬ス
  該部隊(第一鐵道隊ニ屬スルモノヲ除ク)ハ浦潮上陸ノ時ヨリ
  第十二師團長ノ隷下ニ入ルモノトス
二、臨時鐵道聯隊(第一大隊(第一中隊欠)欠)ヲ滿洲里方靣ニ派遣シ
  關東都督ノ隷下ニ屬ス
  該部隊(第二鐵道隊ニ屬スルモノヲ除ク)ハ鴨緣江通過後
  關東都督ノ隷下ニ入ルモノトス

上記<8><24>と下記<C06032013700>の人数は横に置かざる得ませんが、
内訳など。

●標題:臨時鉄道連隊編成要領制定の件
https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/image_C06032013700
[9/10]
附表 臨時鐵道聯隊編制表
聯隊本部       計 9(0)
同          計 5(5=馬卒5)
○         合計 14(5)
大隊本部       計 9(0)
同          計 8(8=主計1・計手1・軍醫1・看護長1・馬卒4)
○         合計 17(8)
一中隊        計159(0)
同          計 5(5=上等看護卒1・馬卒4)
○         合計164(5)
材料廠        計 43(0)
同          計 2(2=?工兵上等工長1?・馬卒1)
○         合計 45(2)
大隊(三中隊材料廠留)計計529(0)
同          計 25(25=?工兵上等工長1?・主計1・計手1・
              軍醫1・看護長1・上等看護卒3・馬卒17)
○         合計554(25)
聯隊(三大隊)計    計1596(0)
同          計 80(80=?工兵上等工長3?・主計3・計手3・
              軍醫3・看護長3・上等看護卒9・馬卒56)
○         合計1676(80)
----------------
合算         2470(125)
----------------

あと、下記は結果的にボツになった動員計画のようですが、
各部隊等の一般的な構成・内訳の参考程度に。

●標題:大正7年度陸軍動員計画訓令に関する件
https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/image_C02030044100

以上 内容がますます落書きの様相を呈してきて申し訳ありません。

お礼

2017/01/16 20:18

度々のご回答ありがとうございます。

「シベリア出兵」で多くの“非戦闘員”が死亡しています。
「陸地測量師1、陸軍通譯1、陸地測量手1、傭人2」もその一部で、靖国に合祀されています。
政府が創建した神社ですから、誰を祀ろうと政府の自由ですね。
私は独り言で、“戦争”で死んだわけではないのに“戦死”扱いにしている、と政府や靖国神社を皮肉ったつもりです。
靖国神社のサイトには、
「幕末の嘉永6年(1853)以降、明治維新、戊辰の役(戦争)、西南の役(戦争)、日清戦争、日露戦争、満洲事変、支那事変、大東亜戦争などの国難に際して、(以下略)」
とありますが、「シベリア出兵」をなぜか省いています。
それは、シベリア出兵が戦争ではないという政府の立場を表しているからだと思います。
政府や軍部にとって、もっとも思い出したくない最悪の記憶が「シベリア出兵」であるからでしょう。

この質問の要点は、「非戦闘員とはどんな人たちですか」ということで、凡その範囲は掴むことができました。
当時の軍部が軍の判断で「非戦闘員」と分類しただけだと思います。
政府・軍部の一部や国民世論の大多数も派兵に反対していたのに、言論統制までして派兵することになったので、戦闘に参加・不参加という観点よりはとにかく名目上「非戦闘員」を増やしたのではないかと思います。

#2のご回答の「近代日本における捕虜:日清、日露戦争と第一次世界大戦における捕虜取扱いの比較研究」を再度読んでみますと、
「補助輸卒を戦闘員か非戦闘員として扱うかは国際法上の問題にならず、内国的な問題であるが有賀はどちらにすべきか、なお研究を要すと述べている。これについて少し詳しく述べたい」
とあります。
補助輸卒に限らず軍の判断で「非戦闘員」に分類できたのではないかと思います。
たとえ、師団の編成表を入手できたとしても、どの部隊(誰)を、「非戦闘員」としたのか、
編成表に明記されていなければ、結局、非戦闘員を抽出できないのではないでしょうか。
輜重隊が医療機器や医療品を運ぶ場合、隊の統率者である将校は武装していても非戦闘員となるのか、など分からないこと続出です。

質問者

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質問する
2017/01/12 15:05
回答No.12

今回はコーヒブレイク時につき、少しだけ・・・

>非戦闘員が死んだ場合、「戦死」になるのだろうか、
>戦死であれば靖国に合祀されるのか、

シベリア出兵時限定ではなく「大正3~9年戦役」と範囲は広いですが、
『官報(1920.4.14)』「陸軍省告示第七號」には、
下記の役職名等で非戦闘員とおぼしき方々が登載されています。

通譯、陸軍(一等・二等・三等)看護長、陸軍(一等・三等)軍醫、
陸軍(一等・上等)計手、陸軍砲兵(二等)銃工長、陸軍輜重輸卒、雇員、
陸軍(一等)蹄鐵工長、陸地測量師、陸地測量手、傭人、憲兵補助員など。

●『官報.1920年04月14日/大蔵省印刷局[編]/日本マイクロ写真』
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2954420/1
[1-3/26](345-348頁)
◎陸軍省告示第七號
大正三年乃至九年戰役ニ關シ戰死竝戰傷後死歿シタル左記人名ノ者
本年四月靖國神社ヘ合祀仰出サル
大正九年四月十四日 陸軍大臣 田中義一

また下記は「戦死」ではない「死歿」のようですが、
こちらにも「特別ヲ以テ」非戦闘員とおぼしき方々が
多数登載されています。

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2954420/3
[3-4/26](348-351頁)
◎陸軍省告示第八號
大正三年乃至九年戰役ニ關シ死歿シタル左記人名ノ者
特別ヲ以テ本年四月靖國神社ヘ合祀仰出サル
大正九年四月十四日 陸軍大臣 田中義一

以上

お礼

2017/01/14 19:38

ご回答ありがとうございます。

政府が創建した神社ですから、誰を祀ろうと政府の自由ですね。
シベリア出兵で死んだ者は気の毒だ、と陸軍大臣田中義一が裁決したのでしょう。

シベリア出兵は、「出兵」であって「戦争」ではありません。
天皇の名においてロシアに対して「宣戦布告」を出してはいませんね。
しかし、現実には陸軍省がわざわざ「非戦闘員」だと分別した“兵員”が亡くなっています。
「戦争」で死んだわけではないので死者を「戦死」扱いにするのかな、という疑問でした。
因みに靖国神社のサイトには、
「幕末の嘉永6年(1853)以降、明治維新、戊辰の役(戦争)、西南の役(戦争)、日清戦争、日露戦争、満洲事変、支那事変、大東亜戦争などの国難に際して、(以下略)」
とあります。


>陸軍省告示第八號
>大正三年乃至九年戰役ニ關シ死歿シタル左記人名ノ者特別ヲ以テ本年四月靖國神社ヘ合祀仰出サル   大正九年四月十四日 陸軍大臣 田中義一  

なるほど!
第8号では「死歿シタル左記人名ノ者特別ヲ以テ」とあり、
第7号では、「戰死竝戰傷後死歿シタル左記人名ノ者」と書いてあって微妙に表現が異なりますね。
7号にも8号にも「輜重輸卒」「通譯」の名がありますから、身分の違いによるものではなく、死亡の原因が異なるのでしょうね。
第8号には凡そ670名が記載されていますが、結構多いですね。
推測できますが、書くと差し障りがありそうです。

質問者
2017/01/11 16:49
回答No.11

引き続き第七師団(関東都督)?関連。

下記<24><25><26>は所属?ですが、便宜算入。

<24>○標題:輸送に関する指示の件
https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/image_C03010094900
[5/13]※[10/13]?重複、別個?便宜上重複扱い。
臨時鐵道聯隊 乘船(※宇品10.13)上陸日次豫定表
 上陸地 釜山(※10.15)
<部隊號>/人員(將校-下士卒)/
臨時鐵道聯隊(浦潮行ノ分ヲ除ク)/ 45 - 1008 /
○ 計            / 45 - 1008 /
------------------------
※合計            / 45 - 1008 → 1053
------------------------

<25>○標題:輸送に関する指示の件
https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/image_C03010082200
[9/12]※[11/12]?重複、別個?、便宜上重複扱い。
第二臨時測圖部 乘船(※宇品10.2)上陸日次豫定表
 上陸地 釜山(※10.4)
<部隊號>/人員(將校-下士卒)/
第二臨時測圖部        / 16 - 31 /
○ 計            / 16 - 31 /

[10/12]※[12/12]?重複、別個?便宜上重複扱い。
野戰交通部及第一線區司令部要員 乘船(※宇品10.2)上陸日次豫定表
 上陸地 釜山(※10.4)
野戰交通部及第一線區司令部要員/ 0 - 9 /
○ 計            / 0 - 9 /
------------------------
※合計            / 16 - 40 → 56
------------------------

<26>●標題:輸送に関する指示の件
https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/image_C03010094800
[5/5]
第二自動車隊 乘船(※宇品11.9)上陸日次豫定表 上陸地 釜山(※11.11)
※「11.4」以後の「宇品11.9→釜山11.11」ですが、
参謀次長の通牒日付が[1/5]「大正7.10.15」により算入。
第二自動車隊         / 6 - 96 /
○ 計            / 6 - 96 /
------------------------
※合計            / 6 - 96 → 102
------------------------
※合算<24><25><26> 1053+56+102=1211
------------------------
前回分<21><22><23>      4322+2856+146= 7324
今回分<24><25><26> 1053+56+102= 1211
併せても                   8535
やはり「3.北満洲方面、関東都督の隷下、第七師団(満洲駐剳)ほか
戦闘員7,100非戦闘員5,300計12,400」にも足りません。

第十二師団関連「28,587」名
第三師団関連 「27,703」名
第七師団関連?「 8,535」名
合算しても  「64,825」名(戦闘員・非戦闘員未区分)、
「戦闘員42,200名、非戦闘員16,400名合計58,600名」は超えるものの、
「戦闘員44,700名、非戦闘員27,700名合計72,400名」には及びません。

下記など「大正7.11.9」参謀次長通牒につき泣く泣く除外しました。
×標題:輸送に関する指示の件通牒
https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/image_C03010104100
[5/6]

下記など関東都督隷下部隊号等はありますが、人数に繋がりません。
×標題:附録第12号 出動ニ関スル関東都督命令
https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/image_C13110250300

また、下記など「大正七年十二月調」を別にしても人数はあれど、
これだけでは参考になりかねます。
×標題:戦時旬報 自大正8年1月21日至同年1月31日 第7師団司令部(1)
https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/image_C14030415600
[26/47]

などとボヤキを書き込むほどですので、私の力量では既に限界かも・・・

以上

お礼

2017/01/15 19:51

度々のご回答ありがとうございます。

非戦闘員の部隊を部隊号で正確に判断することは難しいということがよく分かりました。
關東野戰建築部、第二自動車隊他、判断できない部隊は数多くありました。
電信や電話を業務とする部隊は、非戦闘員の部隊かと思っていましたが、電信・電話は師団の運命を左右する業務で、前線で活動するわけですから、はたして非戦闘員としてよいのか疑問です。

>×標題:戦時旬報 自大正8年1月21日至同年1月31日 第7師団司令部(1)

「航空廠」の記述があります。
シベリア出兵時、所沢の航空大隊(1個)が出動しています。
たいへん参考になりました。

質問者
2017/01/11 16:48
回答No.10

第七師団関連ほか。(<13>~<20>は便宜上、欠番扱い)

第十二&第三師団と違い、既発駐屯組の第七師団に関しましては、
内地からの部隊を除いては乗船・上陸予定表は有りませんので
手こずっています。

<C13110249700>は駐屯中の各部隊各地から「長春」集結分につき除外。
下記の<21>と概ね一致します。
○標題:附録第6号 鉄道輸送、通信、補給及衛生ニ関スル 関東都督ノ指示
https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/image_C13110249700
[5-6/22]  (將校-下士卒)
※合計            / 217 - 4284 → 4501

<21>●標題:附録第10号 東清鉄道輸送計画表
https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/image_C13110250100
[1-2/2]
關東都督府西伯利出兵部隊東清鐵道線
 鐵道輸送計畫表 大正七年八月十四日調製
※<出発>寛城子(8.17-8.21)-<到着>満洲里(8.20-8.24)
<輸送番號>/<部隊號>/積載數量(將校-下士卒)/
1/騎兵第七聯隊(一中隊欠)  / 16 - 214 /
2/臨時電信班一個      / 1 - 217 /
3/臨時電信班一個      / 1 - 217 /
4/歩兵第十三旅團司令部   / 5 - 12 /
5/歩兵第二十五聯隊ノ一大隊 / 20 - 475 /
5/歩兵第二十五聯隊特種砲隊 / 2 - 33 /
6/歩兵第二十五聯隊ノ一大隊 / 20 - 475 /
7/師團衞生班半部      / 4 - 156 /
7/工兵第七大隊ノ一大隊   / 5 - 165 /
8/野砲兵第七聯隊ノ一大隊
  (一中隊缺)聯隊段列三分一 / 13 - 179 /
9/第七師團騎兵中隊     / 5 - 104 /
10/第七師團司令部      / 20 - 122 /
10/第七師團電話班      / 1 - 75 /
11/歩兵第二十六聯隊ノ一大隊 / 20 - 453 /
12/歩兵第二十六聯隊(二大隊欠)/ 29 - 566 /
12/歩兵第二十六聯隊特種砲隊 / 2 - 33 /
13/歩兵二十六聯隊ノ一大隊  / 20 - 453 /
13/工兵第七大隊(一中隊欠)  / 9 - 180 /
------------------------
※合計            / 193 - 4129 → 4322
------------------------

<22>●標題:輸送に関する指示の件
https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/image_C03010085900
[5/26]
關東都督兵站機関 乘船(※宇品10.4-10.7)上陸日次豫定表
 上陸地 釜山(※10.6-10.9)
<部隊號>/人員(將校-下士卒)/
關東兵站監部         / 28 - 139 /
同   野戰砲兵廠      / 7 - 85 /
同   野戰衞生材料廠    / 5 - 21 /
第一野戰防疫部        / 6 - 37 /
○ 計            / 46 - 282 /
第一師團第三第四兵站司令部  / 26 - 82 /
第一師團兵站電信□□隊    / 7 - 335 /
○ 計            / 33 - 417 /
[8/26]
關東都督兵站機関 乘船(※宇品10.4)上陸日次豫定表
 上陸地 釜山(※10.6)
關東豫備馬廠         / 4 - 52 /
○ 計            / 4 - 52 /
[13/26]
關東都督兵站機関 乘船(※宇品10.5-10.7)上陸日次豫定表
 上陸地 釜山(※10.7-10.9)
第十二師團第八糧秣蒐集部   / 8 - 13 /
○ 計            / 8 - 13 /
[16/26]
關東都督兵站機関 乘船(※宇品10.8)上陸日次豫定表
 上陸地 釜山(※10.10)
第二師團第二乃至第五陸上輸卒隊/ 4 - 1280 /
○ 計            / 4 - 1280 /
[19/26]
關東都督兵站機関 乘船(※宇品10.4)上陸日次豫定表
 上陸地 釜山(※10.6)
關東野戰建築部        / 9 - 32 /
○ 計            / 9 - 32 /
[22/26]※乗船上陸同前
關東野戰工兵廠        / 4 - 28 /
○ 計            / 4 - 28 /
[26/26]
關東都督兵站機関 乘船(※宇品10.4-10.7)上陸日次豫定表
 上陸地 釜山(※10.6-10.9)
關東被服補修部        / 2 - 66 /
○ 計            / 2 - 66 /
第四師團第一第二建築輸卒隊  / 2 - 640 /
○ 計            / 2 - 640 /
------------------------
※合計            / 112 - 2744 → 2856
------------------------

<23>●標題:輸送に関する指示の件
https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/image_C03010090700
[6/17]
關東都督兵站機関 乘船(※宇品10.18)上陸日次豫定表
 上陸地 釜山(※10.20)
<部隊號>/人員(將校-下士卒)/
關東兵站病院         / 9 - 96 /
○ 計            / 9 - 96 /
[12/17]※乗船上陸同前
關東兵站病馬廠        / 4 - 37 /
○ 計            / 4 - 37 /
------------------------
※合計            / 13 - 133 → 146
------------------------
※合算<21><22><23>       4322+2856+146= 7324
------------------------

ここまでで第七師団関連「7,324」名(戦闘員・非戦闘員未区分)ですが、
「3.北満洲方面、関東都督の隷下、第七師団(満洲駐剳)ほか
戦闘員7,100非戦闘員5,300計12,400」にも足りません。

以上

2017/01/11 16:46
回答No.9

続きまして、第三師団関連。(<9><10>は便宜上、欠番扱い)

<11>●標題:輸送と関する指示の件
https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/image_C03010073300
[5/31]
後貝加爾方面派遣部隊 乘船(※宇品9.6-9.12)上陸日次豫定表
 上陸地 釜山(※9.8-9.14)
<部隊號>/人員(將校-下士卒)/
第三師團司令部        / 65 - 415 /
歩兵第五旅團司令部      / 3 - 13 /
歩兵第六聯隊         / 86 - 3632 /
第三師團衞生隊(担架一中隊欠) / 21 - 498 /
輜重兵第三大隊特種彈縦列   / 4 - 115 /
第三師團電話隊        / 3 - 116 /
野戰電信第六中隊       / 7 - 335 /
○ 計            / 189 - 5124 /
歩兵第六十八聯隊       / 86 - 3632 /
騎兵第三聯隊         / 25 - 510 /
工兵第三大隊         / 14 - 519 /
野砲兵第三聯隊本部      / 3 - 24 /
野砲兵第三聯隊第一大隊    / 21 - 483 /
○ 計            / 149 - 5168 /
野戰電信第七中隊       / 7 - 335 /
野砲兵第三聯隊段列半部    / 3 - 142 /
第三師團野戰病院二箇     / 26 - 420 /
輜重兵第三大隊本部      / 5 - 16 /
同     歩兵彈藥縦列一箇 / 5 - 162 /
同     砲兵彈藥縦列一箇 / 5 - 224 /
同     糧食縦列一箇   / 6 - 444 /
○ 計            / 57 - 1743 /
第三師團第一乃至第四輜重監視隊/ 4 - 208 /
第三師團第一第二兵站輸送縦列 / 12 - 840 /
○ 計            / 16 - 1048 /
[12/31]
後貝加爾方面派遣部隊 乘船(※宇品9.10-9.12)上陸日次豫定表
 上陸地 釜山(※9.12-9.14)
<部隊號>/人員(將校-下士卒)/
野戰重砲兵第四聯隊第二大隊  / 13 - 438 /
野戰重砲兵第四聯隊段列半部  / 2 - 145 /
○ 計            / 15 - 583 /
野戰重砲兵第四聯隊輜重隊本部 / 2 - 12 /
同       彈藥縦列半部 / 2 - 221 /
同       糧食縦列半部 / 2 - 223 /
○ 計            / 6 - 456 /
[15/31] ※[28/31]?重複、別個?※
後貝加爾方面派遣部隊 乘船(※宇品9.10-9.11)上陸日次豫定表
 上陸地 釜山(※9.12-9.13)
<部隊號>/人員(將校-下士卒)/
臨時電信隊          / 10 - 95 /
第二無線電信隊        / 5 - 98 /
 ※第二無線電信隊ニハ本表ノ外臨時増加人員トシテ左記ノモノヲ配属ス
               /<將校>2-<下士以下>36/※
○ 計            / 15 - 193 → 17 - 229
[19/31]※乗船上陸同前
第一自動車隊         / 2 - 62 /
○ 計            / 2 - 62 /
[22/31]
後貝加爾方面派遣部隊 乘船(※宇品9.12)上陸日次豫定表
 上陸地 釜山(※9.14)
<部隊號>/人員(將校-下士卒)/
第二薪炭採集部        / 6 - 11 /
○ 計            / 6 - 11 /
[25/31]
後貝加爾方面派遣部隊 乘船(※宇品9.6-9.7)上陸日次豫定表
 上陸地 釜山(※9.8-9.9)
<部隊號>/人員(將校-下士卒)/
第十師團臨時患者収容班    / 10 - 95 /
○ 計             / 10 - 95 /
------------------------
※合計            / 467 -14519 → 14986
------------------------
※「○標題:船舶輸送計画の件<C03010077600>」分と上記合計は一致しま
すが、便宜上<C03010073300>を採用、<C03010077600>を重複除外。※

<12>●標題:乗船上陸日次予定表送付の件
https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/image_C03010074400
[4/6]
後貝加爾方面派遣部隊 乘船(※宇品9.13-9.18)上陸日次豫定表
 上陸地 釜山(※9.15-9.20)
<部隊號>/人員(將校-下士卒)/
歩兵第三十旅團司令部     / 3 - 13 /
歩兵第五十一聯隊       / 86 - 3632 /
野砲兵第三聯隊第二大隊    / 21 - 483 /
野砲兵第三聯隊段列半部    / 3 - 142 /
歩兵第三十三聯隊(一大隊欠)  / 65 - 3150 /
第三師團衞生隊担架中隊    / 3 - 163 /
○ 計            / 181 - 7583 /
歩兵第三十三聯隊ノ一大隊   / 29 - 1170 /
=第三師團野戰病院二箇=    / 26 - 420 /
患者輸送部第七班       / 7 - 47 /
野戰豫備病院第七班      / 21 - 184 /
輜重兵第三大隊砲兵彈藥縦列一箇/ 5 - 224 /
同      糧食縦列一箇  / 6 - 444 /
同      歩兵彈藥縦列一箇/ 5 - 162 /
○ 計            / 99 - 2471 /
輜重兵第三大隊砲兵彈藥縦列一箇/ 5 - 224 /
同      糧食縦列一箇  / 12 - 888 /
同      馬廠      / 2 - 99 /
○ 計            / 19 - 1211 /
[6/6]
後貝加爾方面派遣部隊 乘船(※宇品9.15-9.16)上陸日次豫定表
 上陸地 釜山(※9.17-9.18)
<部隊號>/人員(將校-下士卒)/
野戰重砲兵第四聯隊本部及第一大隊/16 - 546 /
同        聯隊段列半部/ 1 - 144 /
同        彈藥縦列半部/ 1 - 221 /
同        糧食縦列半部/ 1 - 223 /
○ 計            / 19 - 1134 /
------------------------
※合計            / 318 -12399 → 12717
------------------------
<11><12>合算で「27,703(=14986+12717)」名
(戦闘員・非戦闘員未区分)。

以上 第三師団関連。 次回は第七師団関連ほか。

お礼

2017/01/13 20:21

詳細に書き上げて下さって真にありがとうございます。
第12師団と同様の基準(部隊号から推定)で第3師団の非戦闘員を分類しました。

衛生:  1941人―25.3%
輸送補給:4669人―61%
通信:  1049人―13.7%
計:   7659人―100%

大正7年(1918年)11月4日の陸軍省調査では
戦闘員17,900、非戦闘員4,300、 計22,200、 非戦闘員の割合 19.4% ですから、非戦闘員推定数7659人は多すぎますが、私の判断基準が間違っているのでしょう。

輸送補給系が半数以上であることはまちがいないですね。
戦争遂行に絶対必要である「輸送補給」「通信」に担う兵員が、なぜ「非戦闘員」と当時呼ばれていたのか、大いなる疑問です。

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