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修士課程の持つ意味について
2023/10/12 12:25
- 大学の研究室において、国から補助金を受けるためには院生を多く取ることが重要です。
- 修士課程では研究方針や進め方を教員の指示に従い進めることが一般的で、知識の深化が主な目的です。
- 教授が学生に研究を任せることで、より良い論文や知識の獲得が期待されます。
修士課程(特に理系)の持つ意味について
2008/11/02 11:16
修士課程(特に理系)の持つ意味について
大学の研究室において、できれば院生を多く取った方が、国から補助金が多く下りるというのはよく聞きますが、
そういう意味でも教授(または准教授)は自分の研究室の院生は多く受け入れたいものなのでしょうか?(もちろん試験をクリアしてる前提で)
また、修士課程ではとりあえず研究方針、進め方などを学部同様担当教員の指示を仰ぎながら、研究を進めていくものなのでしょうか?つまり、あくまで修士は知識を深めることを根本とし、一から何かを編み出そうなどというものは学生には求めてないのですよね?(もちろん求められても極めて難しい話なのですが)
要は、本来教授が自分でやれば、もっと論理構成も良く緻密な論文が書けるが、あえて学部・修士では、それを学生にやらせ(もちろん物理的に教授ができないのも含め)知識・研究を深めてもらうという考えでよいのでしょうか?
大学院修士課程のもつ意味についても教えてください。
質問者が選んだベストアンサー
学部生とは異なり、院生は研究室に所属するという概念から、院生数に比例した金額が、担当教員の「経費」として配分されます。だから、基本的には院生は多く抱えていた方が、研究室が経済的に潤います。
修士課程の学生に何を求めるかは、教員によります。放任主義の教員もいれば、鬼軍曹みたいな人もいます。後者の方が楽です。
教授が自分でやるといいますが、ひとりで出来る事は限られています。チームでやるから効果が出る訳で、教授は研究費集め等のマネージメントもやらなければいけないので、助教やポスドクが音頭をとって、院生と研究するというスタイルが定着しているのだと思います。
修士の入りたては別として、修士修了の頃や博士・ポスドク・助教等は、それぞれ自分の研究しているその項目については、教授よりスペシャリストである事が期待されます。卒研生だって、例えば担当した実験に関しては、教授よりも詳しくパラメータが結果に与える影響とかを知っている訳ですよね。そういう小さな積み重ねで、研究室全体のパワーを生み出すのだと思います。
研究室に入った時に自分の指導教官に、研究室では、学部生も院生も教員も等しく同じ研究者だと言われました。大学教員になった今、なるほどな、と思います。
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その他の回答 (7件中 1~5件目)
院生が来ることで得られる校費は微々たるものなので、
経済的な面では学生の多寡は関係ありません。
しかし、実際に研究を進めるのは学生、特に博士課程に進学する人なので、
やはり学生には来て欲しいです。
>一から何かを編み出そうなどというものは学生には求めてないのですよね?
これは全く間違いです。
知識を深めることは学生が独学ですべきことです。
研究の世界に「学生だからできない」という言い訳はありません。
4回生であろうがノーベル賞をとった大御所であろうが研究の前では同等です。
当然、英語は話せて当たり前ですし、論文も然り。
研究においては教員はあくまでもディスカッションをする相手で、
厳密な意味で「先生」ではありません。
実際にいきなりできないのは分かりますが、目線は高く持ちましょう。
>要は、本来教授が自分でやれば、もっと論理構成も良く緻密な論文が書けるが、あえて学部・修士では、それを学生にやらせ(もちろん物理的に教授ができないのも含め)知識・研究を深めてもらうという考えでよいのでしょうか?
そのとおりです。
>大学院修士課程のもつ意味についても教えてください。
修士論文を書くためにある程度研究ができなければなりません。
研究者になろうと思わなければ大学院には進学するべきではありません。
意味なんて自分で見い出すもの、
というか、自分がどうして大学院に行きたいのか?
それが重要ではないでしょうか?
教官から求められるとかどうとか言う前に
自分は何を求めるのか、どうなりたいのか、何を得たいのか。
>大学院修士課程のもつ意味についても教えてください。
人から教えられるなんてナンセンスと思いますし、人が語るものでも無いと思います。
自分で答えは持っていてしかるべきでは?
准教授は、受け入れられる学生のキャパシティに限界があるので
院生をそこそこに、学部生を多く採用する傾向があります。
一方、助教授を抱えることができる教授は、指導できる学生の数が
多く、学生の受入れに余裕があります。さらに学会などで発表した論文は、たとえ学生主体であっても、半分は指導教官の所有物となるので、発表論文の本数を稼ぐためにもなるべく多くの学生を学会に送り出したい意図から、修士の学生を多く取る意味合いもあります。
研究方針は、学部時代と同様ですが、研究テーマが逸脱した
ものでなく、研究する価値ありと判断されれば、一から用意しても
かまわないと思います。
基本的に大学院修士課程は2年間の研究でどれだけの成果が
出せるか否かです。どれだけ知識を蓄えても、成果が出なければ、
卒業できないのが、一応の建前です。
>何か大卒という切符を発行するだけの4年間…
#1のお答えのように、「ある意味レベルが落ち、以前の学士が修士レベルになっている」と考えることもできます。
一方、現在「知識の絶対量」は半世紀前に比し何倍にもなり、とても学部四年で充分なレベルに達する事はおぼつかない。
と考えることもできます。
また、前世紀初頭では学卒ですぐ教官ということも多く、学位は研究しながら取る。あるいは研究の結果が認められて学位を取る。という前々世紀の欧州型大学が存在できました。
現在の潮流は「米国型」で、学位は自分で研究を企画実行できることを示す「免許証」に過ぎず、学位取得後にポスドク、助教、准教授、最後に教授と進む形になっています。
また学位を持つ研究者の半分以上が「アカポス」と呼ばれる大学には居らず、私企業や公的機関に在籍して研究を行う時代になっています。
ある意味、大学院約五年で「学位」という切符をもらってはじめて研究に関わることが認められる、そんな時代になったと言えるでしょう。
お礼
2008/11/02 15:20
回答ありがとうございます。
非常に参考になります。ひとつ気になったのですが、上2行(経費の件)はやはり国立だけなのでしょうか?私の行っている大学は理系では私立上位の部類なのですが、研究成果に関わらず私立はそういった院生に比例した経費とかはないのかな。