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大学院評価の問題とは?
2023/10/12 19:21
- 大学院の評価について疑問を抱く人が多いですが、その理由は何でしょうか?
- 特に旧帝大院出身者の評価がされないという声もありますが、その背景はなんなのでしょうか?
- マスコミや情報の影響で誤解が広がっている可能性も考えられます。大学院の適切な認識を広めるためにも、意見を共有しましょう。
なぜ、大学院などはちゃんと評価されないのか
2014/07/03 04:47
なぜ、大学院など、特に東大などの旧帝大院卒は、ちゃんと評価されないのでしょうか? 実際は修了するのも勿論大変で、なぜそういった評価がされないのかは非常に気になります。マスコミや、変な情報に流されてしまっている人が多いのでしょうか。これらについて色々なご意見が聞けたら嬉しく思います。大学院について適切な認識が広まってくれれば、よいと思っています。よろしくお願い致します。
その他の回答 (10件中 6~10件目)
先程、一つ書き忘れましたので加筆します。
東大や旧帝大といってもその上に胡座をかいてはいけませんね。後ろ盾がなければ何も出来ないようでは、それこそ学問の府とやらの場所に何をしに行っているの?と訊きたくもなります。
東大だからといって、ナンバーワンであるとの保証はどこにもありません。周囲が勝手に創り出した偶像ですから、それを頼るようでは宗教と同じです。
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端的に申しますと、それは日本の社会が「学問そのもの」と「それを考究する意義」を蔑ろにしているとの反映でしょう。
日本の社会が学問に求める「具体的なもの」を一言で記すならば、そこらの書店の店頭で平積みにされている「役に立つ」との修飾語の付記されている本をイメージしていただければお解りでしょう。
学問の原点が「知を問う」ことであるにもかかわらず、この国ではそうした原点を何処かに置き忘れ、恰も功利主義を醸成するための地均し的な要素とでも考えているふしも垣間見えます。
こうした不幸な事態をもたらしている責任は大学側にも、産業界側にもあることだけは確かで、産業界で主流的な発想からすれば、現場で役に立つ人間を育成する場が大学であり、大学側としては学生達を何も営利目的のために時間を掛けて飼育する場などではない、と反論したくもなります。
そして産業界が最も毛嫌いするのは、自らで考える人間であり、会社の命令に粛々と従う人間にこそ市場価値があるなどと歪んだ発想へ暴走もします。
これに対し、高度な専門的知識の醸成を目的とする大学院側とすれば、俺達は働き蜂や兵隊アリを送り出すためなどに仕事をしているのではないわ!と怒りの一つもぶちまけたくなります。
産業界からすれば、新たな商品開発に関しても基礎的な実験データや綿密な市場調査がなければ、そうしたモノを世に送り出すことができないにも関わらず、現実的には開発部隊よりも営業部隊の意見に耳を傾けもし競争に勝ち抜くことだけを目的とする傾向も観られますが、その競争といっても価格やコストよりも商品価値に本質的な部分が置かれていることを、どこかこの国は忘れているような気もします。
とはいえ、大学院側にも責任の一端はあり、自らが情報を世の中に主体的に発信していくことを余り好まない教員も存在することは事実です。これは大学院側が積極的に改めねばならない、しかも今すぐにでも出来る事ですので、それを手をこまねいて眺めている方がおかしいと感じもします。
東大が日本の大学として相応しくないのは、それが元々官僚を短期に育成するための機関から出発したとの経緯もありますから、学問の府として位置付けるのは僕もいささか疑問符を付けるところです。
やはり「大学を評価する観点」としては、研究実績以外の何物でもないはずです。昔の名前で出ていますが売りでは魅力がありませんから。
「東大」とか「旧帝大院卒」とか一括りにして議論するからです。
採用する側は、各個人の力量を「専門性は当たり前」の前提でさらに「人物」を見ているだけです。
そして、現場では、「肩書きのわりに問題解決能力はないのね」と「実践力」を見ているだけです。修了するのが大変だかどうかは知ったことではありません。仕事ができるかどうかが問題なのですから。
ごく少数の例を、全体の代表のように取り扱うことの愚は、それこそ本当に知を学んだ人間ならわかることでしょう。
>>なぜ、大学院などはちゃんと評価されないのか
大学院だけでなく、旧帝大系の大学についても、「そこを卒業して、そのあと、どんな凄い業績を上げて、日本や世界の人々に貢献できたの?」という視点でみたら、結果が出ていないからでしょう。
「生産性と結果を重視する成果主義」の思想からいえば、単に「成果が出てないから世間で評価されてない」ということでしょう。
たとえば、貧しい村出身で、東京帝国大学農科大学には、ビリで入学して、その後、奮起されて、卒業時には、首席となり、銀時計組を贈られた本多静六博士は、その学んだ林学を応用して、日比谷公園、北海道の大沼公園、福島県の鶴ヶ城公園、東京都の明治神宮など、設計・改良に携わった公園が多数あります。
彼の作った関東大震災からの復興原案では、幅70mの巨大道路、鉄筋コンクリート建築による不燃化などが盛り込まれて、政府の年間予算の2倍の40億円という、スケールだったそうです。
でも、その金額の大きさに批判が続いて、4億円となり、その結果、東京の復興は中途半端なものに終わってしまいました。そのため、大東亜戦争末期の空襲で、東京は焼け野原になってしまいました。
また、一介の大学教授ではあったけど、納税番付で一位になるほど、経済面でも成功されています。
先日読んだ、「超訳霊言 ハイデガー「今」を語る 第二のヒトラーは出現するか/大川隆法」の中には、「国際政治学を学んでも、習近平、プーチン大統領、安倍首相たちがヒトラーと同じ独裁者といえるか否か?誰が正しいのか?誰と組めばいいのか?それが判らない国際政治学なんて学んでも意味ない。また、経済学を学んでも、企業経営して赤字を出したり、倒産させるなら、その経済学は意味無い」なんて感じのことが書かれていました。
つまりは、大学や大学院で学んだことが、役立たずのクソだから、ちゃんと評価されていないだけの話だと思います。