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大学院での研究で悔いを残して辛いです
2023/10/12 19:42
- 大学院生の悔いと挫折から学んだこととは?
- 大学院生の研究での後悔という悪夢と向き合う方法とは?
- 大学院生の研究の結果が出なかったときの再出発の秘訣とは?
大学院での研究で悔いを残して辛いです
2017/02/07 14:05
京大の大学院生です。修士論文の発表を来週に控えております。
要旨も出して、担当教官の修論校正も終わり、スライドもほぼ完成状態であとは発表と質疑応答を残すのみです。それが終われば卒業はできると言われております。
ただ、3年間の研究にものすごく後悔を抱いております。
というのも最後までいい結果が出ませんでした。最終的な結論も結局?となり、やり残したことが多かったのです。そして、後悔の部分で一番大きいのは院生なのに一度も学会に出してもらえなかったことです。この部分の欲しいデータないからと先生に断られ、とても悔しい思いがしました。後悔しか残りません。院生であれば日本~学会に出て発表が当たり前だと思っていたばかりに自分の無能さを感じずにはいられなくなり、顔から火が出るほど恥ずかしく生きていくのが嫌になりました。正直こんなうまくいかないものなのかと絶望し、11月はピペットすら握れず12月から1月半ばまでは学校にも行けなくなりました。
ネットでは研究室の方針によりけりと書いてあるのですが、学会で最優秀賞を受賞した先輩もいます。また、2つ上の先輩は全員が出ており、同期も半分は出ている環境です。以前学会に出る自慢が腹立たしくて同期と喧嘩となり、関係が悪くなったせいか口をきかなくなりました。反省はしておりますがそれが原因である以上しょうがないことだと考え、いまだに修復したいとは思っておりません。
私が行なった実験の系は動物を長期飼育してあるサンプル投与し病気を治す効果がみられるかどうかです。興味はもともとあり文献を読んで知識を吸収するのは好きでした。ですが、研究自体はつまらなく苦痛なものでした。例えるなら、的あてゲームでどうやったら的に当たるかを考えてるような感覚です。研究というか当てものですね。結果ばかりにこだわり過ぎて探究心や面白さを失ってしまいました。また、長期飼育するため一回のスパンが3ヶ月と長く一度失敗したら取り返しがつかず時間が他の研究よりも時間がかかってしまうものでした。就職活動もあり半年間は実験できませんでした。決してサボりまくっていたわけではなく、朝から晩まで頑張ってやってきました。ただ、十分な予算もなく、自分で考えることが方針の研究室でしたので、指導教官になかなか相談もできませんでした。
3回の学生実験で周りと比べて実験の手際が悪く班員に迷惑をかけてしまったことから院に進むのは無理だと思っていたのですが、4回のころに研究が少し面白いかもと思って院進学を決めました。
来年からは地方公務員として働く予定なのですが、技術職なので研究の部署の可能性もあります。そこに配属されたらまた研究をやることになると思うのですがまた結果が出なかったらどうしようかと思って鬱状態です。できれば研究とは決別したいです。
また、現在同じ学科に付き合っている人がいるのですが、その人は博士に進んで研究を続ける予定です。もし将来結婚して一緒に過ごすことになったら研究うまくいって学会で~へ行く姿とかを見て、大学院時代の悪夢をまた思い出して劣等感を感じざるを得ません。嫉妬心別れるかもしれなく怖いです。
実家に帰ってきて親が新聞の切り抜きを持ってきて、この○○という人、学会で表彰されて新聞に載ってたけど知ってる人?と言われ、せっかく研究のことを忘れようとしてるのにものすごく気分が悪いです。
院まで行ったのに学会に出れなかったということを親に話すのは恥ずかしすぎてできません。ほらな、お前には研究は無理やろと言われる始末ですから。
小さいころからスポーツで活躍して、レギュラーも落ちたこともありませんでしたし、学業の成績も上位でした。人より時間のかかる不器用な人間であることは自覚しているものの、研究でこんな挫折を味わったのは生まれて初めてです。
こんな自分に大学院での研究の悪夢を忘れさせ、この挫折をばねにして今後の人生にうまく生かす方法を教えて下さい。
回答 (12件中 1~5件目)
追加で。
院、しかもたかが修士を出ただけの負け組が私なんだけど、研究職に就けば博士の下っ端、一般職に就けば、他社に劣ればその学歴でそんなもん、と言われます。
覚悟してね。
院卒や東大京大卒が役に立つのは就活だけ。その後はプレッシャーにかわります。成果を出せなければあなたの院生活よりも長く過酷な状況が続きます。
多くの回答の中で反応できたのがそれだけというのがあなたのいまの状況、本質、性根だというのが見えた気がします。
ガンバってね、というのですむ状況じゃないかもね。大丈夫かなぁ。
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質問文を読んで、バネにするなら忘れちゃマズイだろうよと心で突っ込み、その変な全能感?というか認知のおかしさを思うと、こういう人には何を言っても無駄だろうなとスルーしていました。
なので、回答No6の方のように、わざわざ時間を割いて本当のことを言ってくれる人は貴重ですよ。実生活で教えてくれる人がいないのは不幸なことですが、それは周囲の人が私のように、あなたには言っても無駄と判断しているのかもしれません。
あなたのお礼コメントの酷さは、私の見立ての正しさを証明したのですが、その無礼さは異常だと思います。社会性に大問題がある。コメントを読んだまともな人は人全員どん引きでしょうね。
今後の人生を順調に生きたければ、その社会性を何とかしないとマズいと思います。
まずは自分の能力の程度を正しく認識して、上には上が山ほどいることを素直に受け入れないことには始まらないと思いますよ。
京大理系で院卒というのは、世間一般の価値基準からすれば相当に誇れる学歴です。大学院の研究ではうまく結果が出せなかったのかもしれませんが、学歴を誇りに、これからの仕事で実績をつくっていけばいいんじゃないでしょうか?
また、恥ずかしいと思うことも、人前で口に出してみると案外楽になると思います。
私はいろいろ失敗したショックなことをできるだけ早いうちに友人などに話すようにします。
あなたはプライドが高いと言うか、競争心が強いのだと思います。それは決して悪いことではありませんが、それゆえに他人の前で挫折感を隠そうとしたり、ズルズルと引きずってしまえば鬱々とした気分が増幅してしまうので、挫折したことも恥ずかしがらずに人に話すように心がけると、かえって解放されていくとも思います。
なお、ひとつだけ、アブダクション、ないしはリトロダクション的な考え方が研究の進行において足りなかったか、あるいは苦手であったのではないでしょうか?
それらは仮説形成や仮説的推論と言われる考え方です。もちろんあなたは博学だと思うので、あえて私から説明するようなことではないかもしれませんが、ざっくりと乱暴に言えば「ひらめき」とか「思いつき」とか「発想力」みたいなものです。
アブダクション的な資質は、児童教育においては特に図画工作などが得意な子供によく見受けられます。白い紙とクレヨンを渡した瞬間からすぐに自由気ままに絵を描いたり工作ができるなど、発想力が豊かな子供のうちは大なり小なり誰もが持ちえているものなのですが、成長とともに経験や語彙が増えると、演繹なり帰納的な思考で代用できるので、次第に活用しなくなっていきます。
私はあなたほどではありませんが、子供の頃から運動神経もよい方で、スポーツもたいていのものがそこそこできました。ただ、子供の頃からずっと羨ましい...というか劣等感を覚えていたのは、たとえば鬼ごっこなどのルールを勝手に改変するようなアイデアをひらめく子や、自分で遊びのルールを生み出せる子たちの存在でした。
私は理系の研究の進行方法は専門外なのでよく知りませんが、概して研究の難しいところは、子供が遊びのルールを生み出すことと同じように、「もしかしたら~~~になるかもしれない」という仮説を立てるところではないでしょうか。
子供の遊びも、たいていは「〇〇したら~~~になってもっと面白いのではないか」といった仮説的推論であり、実際に考案したルールで子供同士遊ぶことで、その推論通りに面白い遊びになったかの検証が、子供達の中では無意識に行われています。
ともすれば、教授が「ひらめいた」仮説を検証することが大学院でのあなたの研究の主軸になってしまっていたとか、また、先行研究を追随するような手法だったなど、何かしらあなたの中で思い当たる点があれば、もしかしたらあなた自身の「ひらめき」を活かしきれていなかったのかもしれません。それは、あなたのせいではなくその教授の指導方法や研究室の環境があまりよくなかっただけなのかもしれません。
しかし、仮説が検証によって想定とは異なり望んだ結果にはならなかったとしても、それもそれでひとつの結果であることには変わりはありません。研究は常に結果が異なるかもしれないというリスクを孕んでいるので、最低限そのリスクに耐えうるメンタルは必要でしょう。
ただ、修士課程という期間だけでは、あなたの行っていたことは十分な結果を出せないものであったのかもしれませんから、あなたの後輩があなたの行っていたことを引き継いでくれることに期待してもいいと思います。
さて、スポーツでの活躍や学業成績が上位であったことはとても素晴らしいことですが、それらは既知の価値基準やルールに則っての成果や結果であったわけで、他者による評価に依存した競争での勝者であったのです。
しかし研究は、同じ競争でもイノベーションを競い合うことです。自身が新たに価値や理論を作り出そうという気概がなければやり遂げられないものです。
今後の人生に向けて、もしもあなた自身が価値を生み出していこうという決心があるのでしたら、この挫折も、あなたが持つ競争心を心強い味方に変えてくれると思います。
nooxide334 さん、こんばんは。
私はあなたがまだ甘えているんじゃないかと思います。正直なところ、京大という旧帝国大学の修士課程を終えようとしてるあなたの実験テーマの難しさやその苦労は私のような素人にはわかりません。学会へ行ってみたいというのは研究者としては当然かもしれませんが、多くの研究者の人が学会へ行けないんだから、別にどうとも考えなくてもいいんじゃないかとも思うのです。肝心なのは彼女は博士課程、あなたは修士課程でリタイア、研究職公務員ですか?じゃ、将来は彼女の方が出世するかもしれない可能性があるとしたら、そして、彼女を見ているだけで、あなたは投稿していられる後悔を忘れることなんかできないでしょう。それからご自身がうつ状態になっていらっしゃるため研究職公務員の仕事も軽く放棄したいと考えていられる。ということは彼女との恋愛から結婚までの生活も捨てたいという考えなのでしょうか?
もうすぐ卒業が決まっているあなたが、今頃になって、そんなことでは社会人としておぼつかない人間になってしまう可能性があるのではないかと心配してしまいます。
経験したことを忘れたいと思うようではいけません。
大学院がどうだというよりあなたの研究態度に問題があると思います。
これからの人生でもありうることなのでいわせてください。
なんのために研究をしたのですか。
まさか学会に出るためじゃないでしょう。
学会というのは報告会発表会ですから、成果があってはじめて上がれる舞台です。
まず研究が先です。
生物学とか化学の場合、さいころゲームみたいなことをして何も考えないで実験や観察をしているひとが割合います。
何かができたらとか発見したらラッキーという感覚です。
おそらくあなたはその一角に居たと思われます。
何を考えて何のためにやっていたのですか。
私も大学院で研究をして学位記を持っているものですけど、シミュレーション計算みたいなことで時間が相当とられて疲労はなはだしいなか、論文もかけ、学会にもいきました。
だけど、学会に行ったというのは、カーニバルに参加して踊ったという程度のことで、それまでの研究とか苦労にくらべたら単なる打ち上げパーティにしか感じなかった。
あえてビジネス用語を出しますが、PVCSという言葉はご存じでしょうね。
いちいち説明しませんよ。もし知らないならネット検索してしらべてください。
自分の研究が当てものだとおもう前に、PVCSで管理していましたか。
何を目的に今の実験をはじめようと思い、どういう具合に進行させ、結果はどうだったか、どうすればよかったか、そういう記録はどこかに書いてありますか。
その記録があれば、研究はスパイラル式に展開し、飽きている暇なんてないはずです。
そしてどんな行動にも意味があり、無駄に人生をおくっていたわけでないというのが実感できたはずです。
その結果何かが得られ、仮に学会で発表できなくてもそれはあなたの木になった果実ですから大事なものです。
仮に大失敗をしたとしてもその経験はかえがたい価値のあるもので、人に教えてやれるネタがえられたんです。
その満足感があなたの文章からかけらもみえません。
その態度は問題だと思いませんか。
もし共同研究者がいたとき、その人にとってあなたが人生2度と得られない最高のパートナーに見えると思いますか。
どうも文章だと、人にほめられたい、人に畏敬させたいというような野心しか感じられません。
こどものころ成績がよかったかどうかを自慢するひとは、今自慢できるものがないからです。
ちいさいころのレギュラーなんて何の意味があるのでしょうか。
生まれ変わりましょうよ。
私は大学院修了者をあいてに講習することがありますが、そういう構成だなとおもったら必ず質問することがある。
はい、手をあげて言ってくださいという。
「学会なんかでなにを言われたら一番いやですか」
これにたいしかなりの人が私の期待しているこたえを言ってくれます。
わかりますか。
「その研究は何の役にたつのですか」です。
これに答えられる準備がある人は今後の発展は保証されています。
理解しない人間にその人のわかることばで説明し説得できるということですから。
これが研究職の本当の実力です。
めんどくさいことをエラソーにわめきちらしてヒンシュクをかう類の学者は結構います。それになったらおしまいです。
学会なんて所詮おまつりです。そんなものはどうでもいい。
学会誌に論文を載せるのはそれとは別にこつこつやっていれば実現します。
その分野を知らない人間にその人がわかることばで説明し感動させながら理解してもらうことが実力です。
なにかにつけて、あああの人に訊いてみよう、相談しようと思われることが一番重要なんです。
自分の在籍している大学名を平気で書くというのは、それで人がおそれいるかという気持があるんでしょう。その神経に問題があります。
あなたの価値ではなく看板でぶちかまそうというのは情けない。
そしてこんな内容のことを実名の大学名をつけて書かれたら同輩に迷惑がかかるという発想がない。
まああんまり小言をいってもなんだけど、ひとがひとを認めるというのは大学でもなければやってきたことでもありませんよ。
そのひとの、人生にたいする向き合い方じゃないですか。