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学歴で人を判断する人
2023/10/12 22:33
- 学校で習う類の学問に限っては高学歴やレベルの高い学校を出ている人の方ができるが、学校で習う学問はごく一部に過ぎないため、それで人の優劣を決めるのはおかしい。
- 自分はちょっとしたことを知らないだけで低学歴のように扱われたり、逆にちょっと賢いことを言っただけで高学歴と思われることがある。
- 学校へ行かなくても学問はできるし、学校へ行っても必ずしも学問ができるわけではない。学歴と優秀さは直接的な関係はないと思う。
学歴で人を判断する人
2019/07/02 00:30
人は人を学歴で判断ならびに評価するのでしょうか。
たしかに学校で習う類の学問に限っては高学歴やレベルの高い学校を出ている人の方ができるでしょうが、学校で習う類の学問はこの世のごく一部でしかないのですからそれで人の優劣を決めるのはおかしいと思います。
自分は日頃ちょっとしたことを知らないだけで低学歴のように扱われたり、逆にちょっと賢いことを言っただけで、君はひょっとして良い学校を出ているのと聞かれたりします。
たまたま自分と関係がある人達がおかしな人達ばかりであるだけでしょうか。
どんなすごい学校を出ていてもこの世のすべては知れません。
どんなに頭が良い人でも学校へ行かなければ、学校へ行っている人ほど学問はできないでしょう。
多少頭の悪い人でも学校へ行けばある程度は学問をできるようになるでしょう。
その人が優秀かどうかと学歴は、直接的には学校で習う類の学問に限って優劣があるだけで、それ以外のことでは因果関係はないと思うのですがどうなのでしょうか。
質問者が選んだベストアンサー
学歴は、その人を判断する情報の、ほんの一部です。
高学歴の人は、優秀な人もいれば、とても劣っている人もいることは、多くの人が知っています。
難しい資格を取得していても、何の役にもたたない人も時々います。
つまり、その時の、記憶力が良かっただけの人なのです。
記憶が良くて、活用する能力がないのでしょう。
それ以外にも、記憶する能力が早めに、劣ってくる人もたくさんいます。
学校を卒業してから、勉強などしない人は多いです。
勉強し続ける人はとても能力が高くなりますが、しない人は、とても劣ってきます。
年齢を重ねていくうちに、その差は大きくなっていきます。
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その他の回答 (8件中 1~5件目)
すべてではなくてもある面で優れていれば他でも期待できるであろうという期待が持てますし狭き門を突破したという実績が能力の判断基準とし有効という因果関係もあります
ただし東大を出た丸山穂高のように勉強ができるバカもいます
判断材料のひとつとしては、良いのではないでしょうか。
何をもって優劣をつけるかは個々の判断です。
それぞれの、ものさしが異なりますからね。
しかしながら学歴は、今後に影響するかもしれません。
東京大学で学んだ方の交友関係は東京大学卒の方が多いでしょう。
私のような三流以下の大学卒では、それなりの交友関係しかありません。
これも大きなアドバンテージです。
>その人が優秀かどうかと学歴は、直接的には学校で習う類の学問に限って優劣があるだけで、それ以外のことでは因果関係はないと思うのですがどうなのでしょうか。
違いますね。
学歴というよりどういう年度にどこの学校に居たかという環境も
大きな要素です。
学校に行く意味の大きな割合が集団であるということです。
一人ではありません。
大変だったことを共有した同期などは深い絆です。
社会にでても、そのネットワークは結構長く続きます。
また、個人の資質に関して言えば
ある建築家が言っていたことですが
自分の事務所に来た受験難関大出身者がセンスがあるとは思わないが
自分で学ぶ力、目標達成する忍耐力は群を抜いていると。
みんながそうではないでしょうが、そんな傾向があるってことです。
それで判断はしないが参考にはなるってことでしょう。
ご質問の「学歴」はおそらく、「〇〇高校□□科」や「◎◎大学△△学部××科」を卒業した、というような「卒業した学校」を指しているのでしょうけれど、社会に出ればそんなものは「その人の経歴の一部」であって、それ以上でも以下でもありません。
もちろんそれは社会が「実力主義」だという意味ではありません。就職する場合の採用の枠や就職後の待遇(初任給など)は「中卒」「高卒」「大卒」によって違います。多くの場合「大卒」の方が選択肢が多く待遇も良いでしょう。(「大学院卒(特に博士課程修了)」となると必ずしも厚遇されずにかえって選択肢が少なくなり、ここに日本の歪みがあるとも指摘されています)
ただし、世間的にいう「いい大学(難関大学)」の卒業生がすべて優秀だと考えているような「おめでたい人」は、少なくとも回答者の周囲にはあまりいませんでした。「いい大学を卒業した」ことは難しい入学試験に合格できるだけの能力が18,9歳のころにあったということでしかないからです。(日本のほとんどの大学はいったん入学すれば卒業は困難ではありません)
「地頭の良い人」ももちろんいますが「受験用の知識だけの人」も少なからずいます。社会人として「仕事ができる」かどうかとは必ずしも一致せず、まして人格を保証するものでは全くありません。
では「いい大学」で学ぶ利点はいったい何でしょうか。教育条件の違いもありますが、実はその最大のものは「自分の限界がわかる(天狗にならなくて済む)」ということではないかと回答者は考えます。
たとえば高校時代いくら数学が得意でも、大学の数学の授業は勝手が違い、多くの学生は戸惑ってしまいがちです。そんなとき同級生の一人が教師の板書の誤りを指摘し、教師が誤りを認めたりすれば、ちんぷんかんぷんだったその他大勢の学生は「上には上がいる」と痛感するでしょう。
そこで謙虚になり、自分の限界をわきまえたうえで「もっと勉強しなければ」と考えることができればその学生は成長できるでしょうし、そうした人は社会人になっても自分の学歴を自慢することもないでしょう。「鶏口(けいこう)となるも牛後となるなかれ」という有名な格言は正しいと思いますが、一番問題なのは「牛後でありながら牛を誇る」ことではないかと考えます。